=== 海外の反応 (f-1) ===

「震災支援は ODA の成果」 外務省、重要性訴える

外務省は政府の途上国援助 (ODA) の取り組みを報告する「2011 年版 ODA 白書」を公表した。 東日本大震災後に途上国を含む 163 カ国・地域から支援が寄せられた理由を「ODA で培われた日本への信頼と感謝の気持ち」と指摘し、国際協力の重要性を訴えている。

白書では、アフリカ・シエラレオネの学生が自分たちの食料を売って 500 ドル(約 4 万円)の義援金を寄せたり、モンゴルの国家公務員全員が月給の一日分を寄付したりした例を紹介。 政府全体の ODA 予算は 13 年連続減少しているが、「国際社会における積極的な貢献が日本自身の利益に結びつく」と成果を強調した。 外務省ホームページで閲覧できる。 (asahi = 3-11-12)

復興の願い海外各地で 震災被災者追悼と支援の催し

東日本大震災の犠牲者を追悼し、復興を願い、支援に感謝する催しが 8 日、海外の大使公邸などで相次いで開かれた。 ニューヨークでは潘基文(パン・ギムン)・国連事務総長が日本語で「力強い復興を応援しています。 日本の皆様が頑張る姿に勇気づけられます。」と語った。 ローマではイタリア大統領が原発の事故について、「かつてない警鐘だ」と述べた。

ニューヨークの国連大使公邸での追悼式典には、各国の外交官や国連幹部ら約 300 人が招かれた。 西田恒夫大使が「世界中の国々や国際機関からの支援に心からの感謝をお伝えしたい」と語った。 潘氏は昨夏の福島を訪れた経験に触れ、「惨状に驚いたが、静かに、秩序を失わず、あきらめない強い意志を持つ被災者の方々に感動した」と述べた。

イタリアのナポリターノ大統領は、ローマの日本大使公邸でスピーチし、原発事故の収束に取り組む作業員らの姿勢を「責任感ある人々が力を合わせた、大いなる証しだ」とたたえ、「放射能汚染の危険は、私たちにかつてない警鐘を鳴らした」とした。 (asahi = 3-9-12)

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東日本大震災津波の漂流物、米ワシントン州に漂着か

米西部ワシントン州の北西部にあるニア湾で、黒く丸みを帯びた漂流物が見つかった。 漁業用のブイとみられ、米国の海洋学者は東日本大震災の津波による米本土への最初の漂流物との見方を示した。

海洋学者のカーティス・エブスマイヤー氏とジム・イングラハム氏が 13 日、同州内にあるペニンシュラ大で漂流物を示しながら発表した。 AP 通信などによると、約 208 リットルのドラム缶大で、ニア湾の砂浜で清掃作業をしていた人が約 2 週間前に見つけた。 カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー島でも同様の漂流物が見つかったという。 米ハワイ大の研究者は、津波のがれきが米西海岸に着くのは 2014 年とみているが、軽いものが早く漂着した可能性がある。

両氏は津波で流された家屋や家具、車、船の一部なども、約 1 年でカリフォルニア州からアラスカ南部にかけて打ち上げられるだろうと話した。 太平洋上を平均時速 7 マイル(約 11 キロ)で流れているが、風のある場所では時速 20 マイルになりうるとの調査も発表した。 (藤えりか、asahi = 12-17-11)

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国境なき医師団、仮設診療所をプレゼント 岩手・宮古

国境なき医師団日本(東京)は 13 日、震災直後から 6 月末まで医療支援をした岩手県宮古市田老に仮設診療所を贈った。 400 棟の仮設住宅が集中する高台の保養施設のホテル棟を改造。 設備費などを含め 1 億 5 千万円の経費を負担した。

診療所は約 350 平方メートル。 カラオケルームを X 線室などに、お休みどころを事務室に代えた。 入院設備はないが、当面、地元の医師 2 人と看護師 6 人らで診察にあたる。 ホテルは営業を続けており、同じフロアに大浴場や土産物売り場も並んでいる。 仮設だが、5 年程度は使用可能。 診療所の黒田仁所長は「ちょっと変わっているが、仮設の人は安心。 将来は診察も受けられる保養施設を売りにできる」と話した。

国際紛争や災害現場に医療スタッフを緊急派遣する医師団が、先進国で長期の支援をしたり、診療所を贈ったりするのは異例。 「インドネシアやハイチの経験から、大災害では公的機関の支援と現場には常にギャップがあるものだ」とエリック・ウアネス事務局長は語った。 (asahi = 12-13-11)

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緊急時の石油、韓国で備蓄 経産省が計画

東日本大震災の直後に深刻な石油不足に陥ったことを受け、緊急時用の石油を韓国に備蓄する計画を経済産業省が立てていることが 2 日分かった。 エネルギーの確保は安全保障につながる問題だけに、外国で備蓄するのは異例の試みだ。

11 月に経産省資源エネルギー庁が韓国知識経済省に非公式に申し入れ、了承を得た。 具体的な方法は、早ければ年内に話し合いを始める。 震災では、東北地方で道路網が寸断され、石油製品の供給が途絶えた。 この反省から経産省が備蓄のあり方を見直していた。

韓国で備蓄するのは、貯蔵施設が少ない日本海側で災害が起きた際に備えるため。 施設の多い太平洋側から山を越えて運ぶより、韓国から船を使った方がスムーズに対応できると判断した。 韓国南東部の釜山などが候補地となっている。 災害時には原油ではなく石油製品が必要になるが、現在、国内の備蓄 172 日分の大部分が原油で、ガソリンや灯油といった石油製品は 44 日分しかない。 このため韓国での備蓄は石油製品を想定している。 (古谷祐伸、asahi = 12-3-11)

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ネオン禁止・地下鉄削減 … 韓国も節電の冬

韓国政府はこの冬、電力不足で大停電になるおそれがあるとして、電力需要ピーク時のネオンサインの禁止や、首都圏の地下鉄の運行本数削減などの「緊急節電策」を決めた。 知識経済省は日本の節電策も参考にしたとしており、「日本国民に負けずに協力してほしい」と呼びかけている。

期間は 12 月から来年 2 月末までで、電力需要のピークとなる午後 5 時から 2 時間、すべての商業施設などでネオンサインの点灯を原則として禁じる。 首都圏の地下鉄は午前 10 時から正午まで運行間隔をあける。

さらに、契約電力が 1 千キロワット以上の大口利用者には、電力使用量を昨年比で 1 割減らすよう義務付け、100 キロワット以上の利用者には暖房の温度を 20 度以下にするよう求めた。 違反が判明すれば、最大 300 万ウォン(約 20 万円)の過料を科す方針だ。 (asahi = 12-3-11)

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震災ドキュメンタリー、ハリウッドで上映 日本映画祭

米ロサンゼルスのハリウッドで 11 日、日本の映画人らによる映画祭「LA エイガフェスト」が始まった。 日本映画を世界に持ち出して広めようと、NPO が映画の都で初めて主催し、経済産業省なども後援。 今後、毎年開催する予定だ。

新作を中心に 3 日間で 19 作品を上映。 東日本大震災にも改めて目を向けてもらおうと、最終日の 13 日には震災ドキュメンタリー「東日本大震災の記憶」を無料で上映する。 国際交流基金などの制作で、東北の被災地で復興に励む人々を 6 - 10 月に撮影した。 主催した NPO 「ジャパン・フィルム・ソサエティー」の三石勇人会長は「惨事だけでなく復興の様子を見てもらい、危機を乗り越えて前に進もうとする日本のすごさを感じてほしい」と話した。

初日は、今年のニューヨーク・アジア映画祭で高い評価を得た山田孝之さん主演のファンタジー作品「ミロクローゼ(来春公開)」を上映した。 記者会見した石橋義正監督は「日本の笑いは日本文化を知っていないと笑えないものが多いが、今回はどの国で見ても笑えるように作った。 日本映画が米国でも広がることを願っている。」と話した。

このほか、三池崇史監督、市川海老蔵さん主演の「一命」や、故・原田芳雄さんが主演し遺作となった「大鹿村騒動記」などを上映する。 (ロサンゼルス = 藤えりか、asahi = 11-12-11)

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震災復興の日米協力を提言 米戦略国際問題研究所

米戦略国際問題研究所 (CSIS) は 3 日、東日本大震災の復興に向けた日米協力のあり方を探る特別調査委員会の報告書を発表した。 「復旧・復興のための適切な戦略は、日本により強い未来をもたらす」と指摘し、日米同盟、エネルギーなど 6 分野にわたって今後の復興に向けた戦略を提言している。 特別調査委員会は「復興と未来のための日米パートナーシップ」で、米ボーイング社のジェームズ・マクナーニ会長兼最高経営責任者 CEO) が委員長を務めた。

震災における日米間の協力には「日米関係を再強化する好機が存在している」とし、人道支援や災害救援活動から得た教訓を安全保障にかかわる事態にも活用し、共同作戦能力を高める必要があると指摘。 さらに福島第一原子力発電所の事故に関して、日米の官民で委員会を設置し、事故の検証や除染の作業を日米が協力して実施することなども提言した。 (ワシントン = 伊藤宏、asahi = 11-5-11)

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「途上国、防災強化を」日本が要請 世銀・IMF 開発委

世界銀行と国際通貨基金 (IMF) の途上国向け開発支援の方針を決める合同開発委員会が 24 日にあり、日本政府は東日本大震災の教訓を踏まえ、途上国の開発で防災の取り組みの強化を図るべきだと要請した。 日本政府が委員会に出した文書では、開発で若干の追加投資をすることが人命を守るうえで大きな役割を果たすとして、防災を意識した開発支援を進めるべきだと主張した。

大震災発生時に走行中だった東北新幹線が地震検知システムのおかげで安全に停止した例を挙げ、インフラ整備に防災の備えをすれば、被害を軽減できると説明。 一方、想定以上の津波が堤防を越えて甚大な被害を招いた点に触れ、教訓として、構造物の充実だけでなく、防災教育などを通じて住民が適切な行動をとれるようすることが必要だと訴えた。 (ワシントン = 寺西和男、asahi = 9-25-11)

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被災文化財の修復に助成 サムスンなど、5 年間で 1 億円

韓国サムスングループの日本法人・日本サムスンと、文化財保護・芸術研究助成財団は、東日本大震災で被災した自治体指定の文化財の修復費用を助成する。 2016 年までの 5 年間で計 100 件、1 億円を助成する方針だ。 9 日に両者で調印し、発表した。

修復対象は、絵画や彫刻などの美術工芸品と建造物。 被災県の教育委員会が財団に申請し、財団の専門家委員会が審査し、対象を決める。 修復助成は 5 年間でサムスンが計 7,500 万円、財団が計 2,500 万円負担する。 サムスンは一般に修復助成の寄付を呼びかけるが、7,500 万円に届かなかった場合は、不足分を補填する。 (asahi = 9-10-11)

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トモダチ作戦に感謝の大漁旗 被災地から米軍司令官らに

東日本大震災の被災地を支援した米軍の「トモダチ作戦」に感謝し、宮城県内に住む主婦や高校生らが 25 日、フィールド在日米軍司令官らに東京都内の米軍施設で大漁旗や法被をプレゼントした。

発案者で知人に協力を呼びかけた仙台市の主婦松田正子さんは「いち早く救助と復興に尽力し、大きな力を与えてくれた。」 大漁旗は大小 5 枚あり、松田さんらが集めた計約 500 人の被災者らの「ありがとう」、「感謝」といった寄せ書き入り。 法被を羽織ったフィールド氏は「司令部の一番素晴らしい場所に飾りたい」と笑顔を見せた。 贈呈式には自民党の石破茂政調会長も同席した。 (asahi = 7-27-11)

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「16 年前の記憶」胸に、ドイツで支援コンサート

日本との交流 150 周年を迎えたドイツ。 音楽を通じた日本とのつながりは深く、当地では東日本大震災の支援コンサートも多く開かれた。 その中に、"16 年前の記憶" を胸に、支援を呼びかけた日本人バイオリニストがいた。 兵庫県出身の日下紗矢子さん (32)。 2006 年にドイツに渡り、3 年前から名門ベルリン・コンチェルトハウス管弦楽団で第 1 コンサートマスターを務めている。

今回の震災は当日の朝、リハーサル中に楽団の仲間から知らされた。 インターネットのニュースを見た。 津波が家や車を次々のみこんでいた。 「またも遠くで ・・・。」 あのときの記憶が、よみがえった。

1995 年 1 月 17 日、故郷を大地震が襲った。 日下さんは東京の高校に通っていて無事だったが、両親と祖父母は、暮らしていた兵庫県芦屋市の家が被災し、避難所暮らしを余儀なくされた。 好きだった阪神電車の車窓からの街並みも細い路地もがれきに変わった。 当時は高校 1 年。 「何もできない自分が、もどかしかった。」

あれから 16 年。 「いまの自分なら何かできるかもしれない。」 楽団にチャリティーコンサートを相談した。 スタッフはすぐにペンと紙を取り出し、日程の調整を始めた。 同僚たちは次々と、無償での出演を買って出た。 震災から 1 カ月もたたない 4 月 5 日、開催にこぎつけた。 会場は多くのベルリン市民らで埋まった。 収益は全額、音楽でつながりのある仙台市に贈られることが決まった。

「遠いドイツにも、心から日本のことを思ってくれる人がたくさんいた。 そのことがうれしくて。」 23 日には訪独中の皇太子さまと面会し、活動への励ましの言葉を受けた。 両国の深い絆を感じながら、今後もひき続ける。 (ベルリン = 佐々木学、asahi = 6-26-11)

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難民から被災者へ励ましの光 東京タワー青く輝く

「世界難民の日」の 20 日夜、東京都港区の東京タワーが国連難民高等弁務官事務所のシンボルカラーである青色にライトアップされた。 電力問題を考慮し、先端と足元が消灯されたタワーのもとで、ミャンマー(ビルマ)少数民族のカチン族の踊りなどが披露された。 今年は日本が難民条約に加入して 30 年。 同事務所によると、これまで日本が支援した世界各地の難民から東日本大震災で被災した人たちを励ましたいという声があり、その気持ちを込めたという。 (asahi = 6-20-11)

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「GANBARE」インドネシア大統領、気仙沼訪問

インドネシアのユドヨノ大統領が 18 日、ヘラワティ夫人を伴って宮城県気仙沼市の被災地を訪問した。 避難所も訪れ、「忍耐強く災害に対処して欲しい」などと激励した。

避難所になっている市民会館では、斎藤正男さん (72)、多美子さん (67) 夫妻とひざを交えた。 2004 年のスマトラ沖地震を踏まえ、「我々も津波の被害を被った経験がある。 毎日のように祈りを捧げています。」と語りかけた。 正男さんは「全国の皆さんに支援していただき元気に暮らしています」と応えた。 大統領は「GANBARE NIPPON」と書いたプレートや、インドネシアの伝統楽器アンクルン、200 万米ドルを市に寄付した。 (asahi = 6-18-11)

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英国教会も「ガンバレ、トウホク」 震災犠牲者を追悼

ウィリアム英王子夫妻の結婚式が行われたロンドンのウェストミンスター寺院で 5 日夜、東日本大震災の犠牲者の追悼式があった。 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が読み上げられ、エリザベス女王のいとこのグロスター公や在英邦人ら約 2 千人が祈りを捧げた。

式では、キリスト教の聖歌のほか、和太鼓の演奏も行われた。 日蓮宗の僧による読経のあと、林景一・駐英国大使が犠牲者に献花。 英国国教会の聖職者は日本語で「がんばれ日本、がんばれ東北」と被災地にエールを送った。 (asahi = 6-6-11)

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「復旧を支援」、「日本国民が深く感謝」日米首脳が会談

菅直人首相は 26 日夕(日本時間 27 日未明)、主要国首脳会議(G8 サミット)が開かれている仏北部ドービルで米国のオバマ大統領と会談した。 冒頭、大統領は「震災についてどれだけ時間がかかっても日本の復旧を支援する」と語り、首相は「一連の米国の行動を通し、日米同盟の絆の深さを感じた。 日本国民全員が深く感謝している。」などと応じた。

大統領は「日米同盟は日米両国にとってより安全で、繁栄するためにこの 50 年間役立ってきた」と指摘。 首相は環太平洋経済連携協定 (TPP) について「震災で少し遅れているが、そう遠くない時期に方針を固めたい」と述べ、経済の再生や財政健全化、社会保障改革についても「震災で一時止まったが、復興と同時に果敢に再スタートしている」と強調した。 (ドービル = 坂尻顕吾、asahi = 5-27-11)

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ツナ缶 6 万缶の支援に感謝 チュニジア外相に松本外相

来日中のチュニジアのケフィ外相が 23 日、松本剛明外相と外務省で会談。 東日本大震災に見舞われた日本にチュニジアが 5 月にツナ缶 6 万缶を送ってきたことが話題になった。 ケフィ氏は「小さな支援ですが、チュニジア国民の気持ちの表れです」と語り、松本氏は「大きな励みになった」と謝意を伝えた。 地中海に面したチュニジアはマグロ漁が盛んで、「日本人の口に合う」とツナ缶を選んだという。 (松村愛、asahi = 5-23-11)

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南三陸の中学生に「チリ共和国賞」を 駐日大使が提案

宮城県南三陸町の志津川中学校は、旧志津川町で 41 人が亡くなった 1960 年の昭和チリ地震津波の教訓を忘れまいと、海外で地震や津波が起こるたびに、生徒たちが募金活動を行い、被災地に贈っていた。 震災後、チリのパトリシオ・トーレス駐日大使が志津川中を訪れ、菅原貞芳校長に対し、「来年 3 月に再訪し、生徒たちにチリ共和国賞を授与したい」と持ちかけたという。

南三陸町は、昭和チリ地震津波をきっかけに、チリと交流を続けてきた。 91 年には、イースター島にある本物と同じ石で作られたというモアイ像がチリから町に贈られた。 防災と友好のシンボルとして、海辺の公園に立つ。

今回の津波で、モアイ像は上部が流された。 志津川中では、167 人の生徒が家を失い、11 人が親を亡くした。 菅原校長は「モアイの『モ』は未来、『アイ』は生存を意味する。 今はその意味をもう一度、かみしめる時なのかもしれません。」と話している。 (三浦英之、asahi = 5-23-11)

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日本人に対し敬服の念、中国人の民度には恥じ入るばかり = 中国

河南法院網は 16 日、日本で発生した東日本大震災について取り上げ、「日本人に対し敬服の念を禁じえない」と報じた。 記事は、「日本の中国侵略の歴史を知るものは、誰もが日本の亡国と民族の絶滅を願うだろう。 これは天罰であり、日本の道に外れた行為に対する報いだと考えた。」と震災発生当時の感情を綴りながらも、「震災後、事態の進展と救援状況を見守ってきたが、災害のなかで日本人被災者が見せた姿勢には尊敬を禁じせない」と語った。

物資が欠乏するなか、被災地では略奪もなく、物価も安定していた。 物価が高騰するどころか、価格を下げて販売する業者も見られ、いたるところで秩序が保たれていた。 これに対し、記事は「驚くべきことだった」とした。 「東日本大震災ほど深刻ではない災害でも、わが国では、インスタント麺の価格は暴騰し、救援物資が滞ることさえあった。 日本に比較して中国国民の民度には恥じ入るばかりだ。」とした。

さらに、民族に必要なのは不撓不屈の精神と、国の大事を自己より重く見る精神だと指摘し、「中国人が日本の震災から多くを学ぶことを心から希望する」と結んだ。 (サーチナ = 5-17-11)

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パリの夜、3・11 鎮魂の火が揺れる 留学生ら集う

東日本大震災で亡くなった人々を悼み、被災者を支援しようと、パリ政治学院の日本人留学生たちが 12 日夜、パリのサンシュルピス教会の広場に集い、日仏の友情を表す「絆」の文字をロウソクでともした。

集いでは、留学生の知人の妹で、宮城県気仙沼市で被災した高校 2 年の斎藤真帆さんがビデオで撮影した被災地の様子が映し出された。 津波で倒壊した斎藤さんの実家、様変わりした通学路などの映像に「私たちのこと、3 月 11 日を忘れないでほしいのです。 時々で良いので思い出してほしいのです。」という斎藤さんの言葉が重ねられた。

集いを呼びかけた中西晶子さん (23) は「モノの支援でなく、一人ひとりの気持ちを集めた支援があってもいい」と述べた。 留学生の音楽仲間がボランティアで演奏し、映像や音響の機材は知人が無償で提供してくれたという。 日本人の友人に誘われたという大学生のニハル・サラ・ウアダさん (20) は「絆とは、日本人と世界の人々との連帯を表しています。 被災者はひとりではありません。」と話した。 (パリ = 稲田信司、asahi = 5-14-11)

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【中国ブログ】 東日本大震災に見た「日本人の民度と教育」

中国人筆者の何相榮さんが、日本の大地震とその後の津波、そして福島原発の問題を通して、大自然に対する畏敬の念を感じるとともに、日本人が示す民度、素養の高さに敬意を表するとの意見を自らのブログにつづった。

地震後、政府の目が行き届かないなかで、地下鉄が止まっても文句を言わずにただじっと待ち、ガソリンスタンドに自動車が列をつくり、スーパーの品が不足していても、自発的に他人のために商品を残し、公衆電話は 1 人 1 分間の制限があっても、1 分以内に終わらせて次の人に譲っていた。 このような光景に筆者は大いに感動し、「これこそが民度、素養、精神、民族の品格だ」と述べた。

そして筆者は、このような特殊な状況でも日本人が秩序を保てるのは、日本の教育と密接な関係があると分析。 日本では「責任ある世代を育てる」とのスローガンで、学校でも家庭でも、子供に責任感を培わせることが重視されると指摘。 そして、日本の高校教育の目標は「人格の完成」であると述べ、「これには学習能力、強健な体力、豊かな心の 3 つの点が含まれる」と紹介した。

筆者は、以前は豊かな心がよく分からなかったが、今回の地震で日本の教育は一種の「国家至上主義、他人第一主義」なのだと悟ったという。

また、「日本人が礼儀正しいこと、感謝を忘れないこと、自発的に秩序を守ることは知っていたが、政府の監視がなくても無秩序にならなかったことは、日本人が偽善的ではなく、本当に民度が高いことの表れなのだ」と驚きを語った。 そして、筆者も教育者の 1 人として、教育とは日本のようにあるべきだと述べ、災害に面しても子どもたちが「国家至上主義、他人第一主義」の考えを持てるよう育てることは、大学入試の得点数よりもさらに重要なことだと結んだ。 (サーチナ = 4-29-11)

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あまりにも非効率的な日本式の復旧

地震と津波で都市全体が壊滅的な被害を受けた日本の東北地方は、今も泥やがれきに覆われている。 津波に流された住宅や船、自動車が土地や海を覆っているだけでなく、時には山を形成するほどだ。 2,500 万トンのがれきを撤去する作業にかかる費用は 1 兆円以上、期間は 3 年を要すると試算されている。 自衛隊やボランティア、現地の住民はまさにがれきとの戦いを繰り広げているのだ。

撤去に携わる人々が最初に取り掛かるのは、がれきの中に埋もれた写真やアルバム、人形、ランドセルなど、いわゆる「思い出の品」を集める作業だ。 これらが発見されるとまず避難所などの片隅に保管され、持ち主が見付けやすいように配慮されている。 あるボランティア団体は泥まみれになった写真を復元し、持ち主を探し出して届けるという作業を行っている。 こうした手作業では当然、復旧には多くの時間がかかってしまう。

思い出の品をこれほどまでに重視するのは、1 枚の古い家族写真、あるいは父親がプレゼントしてくれたぬいぐるみなど、他人からすれば何でもないものでも、被災者にとっては今後の厳しい生活を耐え抜く力になると考えられているからだ。 しかし、このような配慮ばかりに重視していては当然復旧は非効率的となり、さらに多くの時間がかかってしまう。

家を失った被災者が移住するのも容易なことではない。 日本政府はすでに公共住宅、あるいは旅館やホテルといった宿泊施設など 10 万軒を、被災者の移住先として確保している。 しかし被災者の多くは避難所を離れようとしない。 仮設住宅などへの移住も先着順ではない。 同じ地域に住んでいた 10 世帯以上で申し込むよう定めるなど、集団での移住を原則としているのだ。

東京に用意された被災者向けの団地などは、同じ階に同じ地域の人たちが共に移住するよう定められている。 知らない地域に 1 人で孤立するつらさを味わわないようにとの配慮からだ。

1995 年の阪神淡路大震災では、仮設住宅が急ピッチで建設され、申し込み順に移住の手続きが行われた。 ところが 1 人暮らしの高齢者は周りに知り合いがいなくなると、孤独に耐えられず自殺するケースや、何らかの原因で死亡して、数日後に発見される孤独死などのケースが相次いだ。 突然見知らぬ環境に置かれた児童や生徒たちも、その多くが新しい環境に適応できず、途中で転校や退学を余儀なくされた。

そのため、今回は阪神淡路大震災の教訓を生かし、被災者の移住も「地域、あるいはコミュニティ単位」を原則としているのだ。 被災者も集団で移住する準備が整うまでは、たとえ苦労する期間が多少長くなっても、避難所での生活を望んでいる。 福島第一原発周辺にある双葉町の住民 1,300 人は、さいたま市を経て加須市で集団避難生活を送っている。 学校の講堂や体育館などでの避難所生活は確かに不便だが、隣人とのきずなだけは失いたくないからだ。

日本政府は津波という極度の恐怖を体験した子どもたちのために、心のケアを行う 1,000 人以上の臨床心理士を災害地域に派遣した。 ボランティアも被災者に細心の気配りを施している。 宿泊先や食糧は自ら準備し、現地に 1 週間以上滞在することが、ボランティアを行う際の原則となっている。 「準備が不十分なボランティアは、逆に被災者に迷惑を掛けたり傷を負わせてしまう」というのがその理由だ。

こうした光景は、何でも素早く行動することを重視するわれわれの目には非効率に映るが、日本での災害復旧は度が過ぎるほど非常に細やかで、被災者への配慮を最優先としている。 - 東京 = 車学峰(チャ・ハクポン)特派員 (韓国・朝鮮日報 【コラム】 = 4-23-11)

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「ガンバッテ」桜、海越え届け NY の小学校

ニューヨーク郊外のウェイバリー小学校の児童たちが、東日本大震災の被災地の子どもへのメッセージを込め、サクラを描いた。 紙でできた花びらの一つ一つに「スマイル」、「ガンバッテ」などと、思いが書き込まれている。 宮城県教育委員会に義援金とともに送り、県内の小学校に飾ってもらうことを計画中だ。 ジェフ・メレンデス校長は「子どもたちは、困っている人たちがいる時は助けてあげるという大切なことを学んでいる」と話した。 (ニューヨーク = 田中光、asahi = 4-19-11)

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浜辺に「ARIGATO」 復旧参加の米大佐「感動」

東日本大震災で米軍が展開した「トモダチ作戦」に参加したトス空軍大佐(沖縄県・嘉手納基地所属)が 15 日、米ワシントンの記者団と電話で会見した。 仙台空港上空を飛行中、浜辺で木を並べた「ARIGATO (アリガトウ)」の文字に気づき、日本人の感謝の心に感動したと振り返った。

大佐は震災後、演習中の韓国から特殊部隊を率いて被災地に入り、3 月 16 日早朝から仙台空港の復旧に自衛隊とともに着手。 当初は滑走路に数千台の車両が散在する状態だったが、同 20 日には輸送機が着陸できる状態まで復旧させた。

「ARIGATO」を目にしたのは、任務終了間際の 4 月 3 日。 米軍機で同空港に着陸しようとした際、長さ数メートルの木を滑走路近くの浜辺まで引きずっていく人が見えたという。 文字は着陸時にしか見えない場所だったといい、大佐は「苦境にあって懸命に働いている人たちが、我々に感謝を伝えようと時間を割いてくれた。 逆に日本人への感謝がこみ上げた。」と語った。 (ワシントン = 村山祐介、asahi = 4-17-11)

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韓国支援、歴史問題影響も 救助の軍用機受け入れに遅れ

韓国消防防災庁は 13 日までに、東日本大震災を巡る韓国救助隊の活動報告をまとめた。 日本への派遣が初めて実現した一方、軍用機の民間空港受け入れを巡って混乱も起きた。 日韓防災協力は 10 年以上前に始まったが、教科書問題などの影響で本格的な交流が遅れたとの指摘も出ている。

韓国は隊員 107 人と救助犬 2 匹を派遣し、宮城県などで活動。 被災者 18 人の遺体を発見するなど高い評価を受けた。 報告書によれば、韓国政府は震災翌日の 3 月 12 日に先遣隊を派遣。 本隊 102 人も 13 日深夜にはソウルを発つ予定だったが、実際は 14 日朝までずれ込んだ。

原因は、被災地で救助隊が自給自足で活動するために用意した、物資の大量輸送のための軍用機だった。 成田、福島両空港は民間空港のため日米地位協定がある米軍とは異なり、すぐに使用許可が下りなかった。 本隊が救助活動を始めたのは 15 日朝。 倒壊建物の下敷きなどになった被災者の生存率が急激に下がるとされる 72 時間を過ぎていた。

日韓は 1998 年に防災協力の推進で一致。 消防と防災の両分野で、毎年のように交流や会議を開いてきたが、共同訓練の経験はまだなかった。 時間がかかった背景には、両国の装備の違いのほか、日韓関係が歴史問題などで度々停滞した事情がある。 関係者の一人は「国民感情への配慮も必要だった」と語る。

08 年 2 月に日米韓の官民合同セミナーで 3 カ国の軍による防災協力が議論されたこともあったが、歴史的経緯から、自衛隊と韓国軍の相互派遣を巡る議論は避け、第三国で災害が発生した場合の協力策を探るにとどめたという。 韓国救助隊の活躍を契機に、韓国の政府や専門家から日韓協力の重要性を指摘する声が改めて出ている。 (ソウル = 牧野愛博、asahi = 4-13-11)

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世界のビルから「がんばれ日本」 白と赤でライトアップ

東日本大震災の被災地を応援しようと、ニューヨークの摩天楼を象徴するエンパイア・ステートビルの呼びかけで、世界を代表するビルやタワーが 4 日夜、白と赤の「日の丸色」でライトアップされた。

参加したのは CN タワー(カナダ・トロント)、KL タワー(クアラルンプール)、ソウルタワー(ソウル)、スピンネーカータワー(英国・ポーツマス)など。 エンパイア側は「復興支援のために世界中のビルが参加してくれたことを誇りに思う」とコメントしている。 (ニューヨーク = 田中光、asahi = 4-5-11)

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オバマ大統領、連日の「日本助けよう」 中南米を歴訪中

【サンサルバドル(エルサルバドル) = 尾形聡彦】 中南米を歴訪中のオバマ米大統領が、連日、東日本大震災で被害を受けた日本を支援する必要性を呼びかけている。 最大の日系人社会を抱えるブラジルでは 20 日、「日本の危機がすぎるまでともに祈り、日本を支持し、復興を手助けしよう」と訴えた。 21 日には、チリのサンティアゴで「太平洋をはさんで、チリと米国は、日本の皆さんを支援する。」

リビアへの軍事介入にかかる費用を問われた 22 日のサンサルバドルの会見では、人道的な見地から介入する必要性を強調するとともに「日本での救援活動にも費用はかかるが、米国は国際社会のリーダーとして、行動する必要がある」と語った。

米政府高官は 22 日夜、朝日新聞に対し、「大統領が言及を続けているのは、米メディアが時に、一つの大ニュースばかりに焦点を当てることを知っているからだ。 いま(米メディアの関心の)焦点は、日本からリビアへと移っている。 しかし、大統領は日本の状況が深刻なことを理解しており、自分が日本に焦点を当て続けていることを世界に分かってもらいたいと思っている。」と明かした。 (asahi = 3-23-11)

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4 時間で 21 億円! 台湾で震災支援番組 5 億円出す人も

【台北 = 村上太輝夫】 台湾の赤十字会とテレビ各局が 18 日夜、東日本大震災の被災者支援のチャリティーイベントを開いた。 4 時間の生中継の間に電話で義援金を受け付け、7 億 8,800 万台湾ドル(約 21 億円)が集まった。

台湾の有名歌手らとともにジュディ・オングさん、元サッカー選手の中田英寿さんらが参加。 馬英九(マー・インチウ)総統夫妻や政権幹部も受話器を握った。 2 億台湾ドル(約 5 億 4 千万円)を出したのはアップル社の「iPhone (アイフォーン)」の受託生産などで知られる鴻海グループ総裁、郭台銘氏。 台湾有数の富豪で、日本企業との関係も深い。 (asahi = 3-19-11)

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オバマ米大統領「国際的な悲劇」 結束し支援、強調

【ワシントン = 伊藤宏】 オバマ米大統領は 14 日、東日本大震災について「これは国際的な悲劇だ。 日本は先進国であり、復興に必要な技術も備えているが、我々が一体となってできる限りの支援をしていくことが大切だ。」と述べ、国際社会が結束して支援にあたる姿勢を強調した。 デンマークのラスムセン首相との会談後、ホワイトハウスで記者団に語った。

オバマ氏は同日、この会談に先立って米バージニア州の学校で講演した際にも、「日本の惨状に、胸が張り裂けるような思いを持ち続けている」と述べるとともに、米政府として、あらゆる支援を惜しまない考えを改めて表明。 「我々は、この先の困難な日々も、日本の皆さんと共にある」と強調した。 (asahi = 3-15-11)

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「がんばれ日本、がんばれ東北」英紙が 1 面でエール

【ロンドン = 橋本聡】 英紙インディペンデント・オン・サンデーは 13 日、1 面全体に日の丸をあしらい、日本語で「がんばれ、日本。 がんばれ、東北。」とメッセージを掲載した。 他紙が津波や福島原発の写真を掲載するなかで異彩を放ち、英公共放送 BBC テレビは朝のニュースで、キャスターがカメラの前に掲げて紹介した。 同紙を手にとったロンドン市民は「私たちの思いを代弁している。」 英国には 6 万人の在留邦人がいる。 (asahi = 3-13-11)

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米各紙、日本人の「がまん」、「地震への備え」に注目

【ニューヨーク = 田中光】 東日本大震災をめぐり、米国でも日本人の対応や、震災への備えに注目する報道が相次いでいる。 米ニューヨーク・タイムズ紙 (NYT) のコラムニストは日本人の「ガマン」を称賛する一方、ウォールストリート・ジャーナル紙 (WSJ) は日本の耐震対策をたたえた。

「日本語には英語にはないガマンという言葉がある。」 そう指摘したのは阪神大震災を取材したことがある NYT の元東京支局長のニコラス・クリストフ記者だ。 「日本の立ち直る力と忍耐力は立派で勇気のあるもので、来る日でも見ることができるだろう」とブログで書いた。

また WSJ の 12 日付の社説は、地震大国の日本が「どれだけ地震に備えてきたかを忘れてはならない」と主張。 NYT の 12 日付の 1 面記事も、多くの人たちが高台に逃れた点など、津波に対する住民たちの警戒心が人命を救った可能性に言及した。 (asahi = 3-13-11)

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「日本人には道徳の血」 中国紙、市民の冷静さを称賛

【北京 = 古谷浩一】 東日本大震災について、中国メディアが「日本の民衆の『落ち着き』が強い印象を与えている(第一財経日報)」、「日本人はなぜこんなに冷静なのか(新京報)」といった記事を相次いで報じている。 2008 年の四川大地震では一部で混乱も伝えられており、市民も驚きを持って報道に注目しているようだ。

国際情報紙の環球時報は 12 日、「日本人の冷静さが世界に感慨を与えている。」 普段は日本に厳しい論調の多い同紙だが、「(東京では)数百人が広場に避難したが、男性は女性を助け、ゴミ一つ落ちていなかった」と紹介した。 中国中央テレビは被災地に中国語の案内があることを指摘。 アナウンサーは「外国人にも配慮をする日本に、とても感動します」と語った。

報道を見た北京市の女性 (57) は「すごい。 日本人の中には『道徳』という血が流れているのだと思う。」と朝日新聞に語った。 (asahi = 3-13-11)

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