=== 被災者対策 (c-6) ===

被災の常磐線不通区間 5 年 9 カ月ぶり再開へ試運転

東日本大震災による津波で被災し、不通となっていた JR 常磐線の相馬(福島県相馬市) - 浜吉田(宮城県亘理町)間で 5 日午前、列車の試運転が始まった。 計 23.2 キロの区間で 12 月 10 日、5 年 9 カ月ぶりに通常運転を再開する。

この区間のうち、海沿いを走っていた約 15 キロは、最大で 1 キロ余り内陸側に線路を移設。 新しい駅の周りに、家を流された人々が移り住む街が建設されている。 宮城県山元町の山下駅西側にできた「つばめの杜(もり)地区」には、集団移転した人の家や災害公営住宅、大型スーパーなどが並び、すでに約 1,100 人が暮らしている。 山元町は震災を機に、沿岸部に散在していた集落をひとまとめにし、公共施設も集約する「コンパクトシティー」化を推し進めてきた。 その街が、まもなく完成する。 (asahi = 11-5-16)

山元町で内陸部新市街地が始動

東日本大震災の津波で大きな被害が出た山元町で 23 日、内陸部に造成された新市街地の「まちびらき」が行われた。 すでに小学校などは完成し、災害公営住宅や宅地の建設・造成工事も、来年 3 月末までに全て完了する。 人口減や高齢化が進む中、中心市街地に街の機能を集約する「コンパクトシティー構想」は、国が推奨する新たな地方都市の在り方だ。 しかし、大規模な計画には 5 年以上を要し、人口流出や新市街地以外の活性化など、課題もある。

新たな町の「顔」

新市街地は、内陸部へルート変更された JR 常磐線・新山下、新坂元の両駅周辺に広がる、「つばめの杜(新山下駅周辺、約 37.4 ヘクタール)」、「新坂元駅周辺(約 9.8 ヘクタール)」、「宮城病院周辺(約 9.3 ヘクタール)」の 3 か所計約 57 ヘクタール。

8 月末時点で約 1,100 人が暮らすつばめの杜地区には今夏、被災した山下第二小学校の新校舎や、保育所などの子育て支援施設が整備され、月内には大型スーパーが開店する。 同地区西区長の坂根守さん (73) は「5 年半前に家を流された時は、こんなきれいな街ができるとは想像できなかった」と笑顔を見せる。 斎藤俊夫町長も「『町の顔』となる地区。 仙台駅まで電車で 40 分の立地も生かし、活力のある町をつくりたい。」と意気込んだ。

人口流出対策

新市街地完成までの歳月に、しびれを切らした人も少なくない。 2015 年国勢調査の速報値(10 月 1 日現在)の人口は、5 年前の前回調査比 4,390 人減の 1 万 2,314 人。 宅地整備が 2 年遅れた宮城病院周辺地区では、希望者が減り、分譲区画数が 5 分の 1 に縮小された。 両駅周辺地区では、分譲区画に空きが出た。

14 年に同町の仮設住宅から亘理町に移り自宅を再建した山口令子さん (71) は今でもサークル活動で山元町に通う。 「気持ちは山元にあるが、先が見通せない中、孫の高校進学などもあり長くは待てなかった」と振り返る。 同町は、新市街地に保育所や子育て支援センターなどを整備したほか、町内に転入した新婚夫婦や子育て世帯に対し、最大 300 万円を補助する定住促進事業なども展開。 「子育てしやすい町」をスローガンに、人口流出の歯止めに努める。

既存の街との融和

新しい街の整備が進む一方で、津波被害に遭いあいながらも一定の基準をクリアし、元居た場所で自宅再建する人も少なくない。 そうした既存の街の復旧は進んでいないのが現状だ。 常磐線の旧山下駅に近い花釜地区に住み、地域の現状を発信している菊地正己さん (65) は、「新市街地以外では『置いてけぼり』にされていると感じる人が多い。 新市街地と現地再建した人が一体になってにぎわいを取り戻してこそ、町の復興だ。」と訴える。 (yomiuri = 10-24-16)

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東北沿岸の沈下地盤、一転上昇中 かさ上げ岸壁高すぎ …

2011 年 3 月の東日本大震災で沈下した東北沿岸部の地盤が、隆起に転じている。 その結果、震災後にかさ上げした漁港の岸壁は高くなりすぎてしまい、建設中の防潮堤では高低差が生じる恐れが出ている。

44 センチ隆起も

震災直後、沿岸部の地盤は大きく沈下した。 国土地理院が千葉や茨城を含む被災 6 県の 49 カ所を調査した結果、宮城県の沈下が目立ち、震源に近い宮城県石巻市の牡鹿(おしか)半島にある寄磯浜では 107 センチも下がった。 岩手県でも大船渡市赤崎町で 75 センチ、福島県でも南相馬市小高区で 55 センチ沈んだ。 太平洋プレートに引きずり込まれた内陸側の地殻にひずみがたまって断層すべりを起こし、東北地方の地殻が引っ張られる形で沈降したと見られている。

その後の人工衛星を使った調査で、沈下した地盤が石巻市を中心に隆起していることがわかった。 今春までの 5 年間で、寄磯浜で 44 センチ、赤崎町で 22 センチ、小高区で 12 センチ隆起していた。

思わぬ現象に戸惑っているのが漁師たちだ。 震災後の地盤沈下で海面より低くなり、水浸しになった漁港を再生させようと、自治体は岸壁をかさ上げして元の高さに戻した。 ところが隆起の影響で逆に岸壁が高くなり過ぎ、石巻市の漁港では干潮時には船底からの高さが 2 メートルを超えるようになった。漁師は岸壁にはしごを掛けて船の乗り降りをしたり、魚や漁具の上げ下ろしにフォークリフトを使ったりしている。 (加藤裕則、asahi = 11-1-16)

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「不適切な場所に避難、過失」 大川小訴訟で賠償命令

東日本大震災の津波で児童 74 人と教職員 10 人が死亡・行方不明になった宮城県の石巻市立大川小学校をめぐり、児童 23 人の遺族が市と県に計 23 億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は 26 日、総額約 14 億 3 千万円の支払いを市と県に命じる判決を言い渡した。 高宮健二裁判長は「教員は津波の襲来を予見でき、不適切な場所に児童を避難させた過失がある」と認めた。

判決によると、2011 年 3 月 11 日午後 2 時 46 分に地震が発生。 児童と教職員らは 50 分近く校庭にとどまった後、北上川にかかる橋のたもとの「三角地帯」と呼ばれる小高い場所(標高 7 メートル)に歩いて避難を始めた。 直後の午後 3 時 37 分ごろ、津波に襲われた。

判決は、教員がラジオで「6 - 10 メートルの高さの津波が来る」という情報を得ていたうえ、学校前を午後 3 時半ごろまでに通った市の広報車が「津波が北上川河口の松林を越えた」などと津波の接近を知らせ、高台への避難を呼びかけていた点を重視。 「遅くとも、津波が到達する 7 分前の午後 3 時半ごろまでには、大規模な津波が襲来して児童に危険が迫っていると予見できた」と判断した。 その上で、教員らが児童を引率して向かおうとした三角地帯について、津波が到達した場合に他に逃げ場がないことから、「避難場所としては不適当だった」と述べた。

一方で、校庭のすぐそばの裏山は津波から逃れるのに十分な高さがある上、児童が過去にシイタケ栽培の学習で登ったことがあり、遺族側の実験では、津波から逃れられる高さまで歩いて 2 分、小走りで 1 分程度しかかからないと指摘。 「広報車の呼びかけを聞いた時点で避難しても時間的余裕はあった。 津波による被害を回避できた可能性が高い。」と結論づけた。

市と県側は、学校は河口から約 4 キロ離れていて過去に津波被害に遭っておらず、津波浸水想定区域にも入っていなかったと主張。 裏山には崩落などの危険があり、三角地帯への避難は合理的だと訴えていた。 判決を受け、石巻市の亀山紘(ひろし)市長は「市の主張が認められず、重く受け止めている。 この悲劇を伝承していくことが必要だ。」と述べた。 判決を精査し、控訴するか判断するという。 (船崎桜、asahi = 10-26-16)

判決のポイント

  • 遅くとも津波襲来の7分前までには、教員らはラジオや広報車の呼びかけで津波を予見できた
  • 教員らが児童たちを避難場所としては不適当な場所に移動させた行為には、注意義務を怠った過失が認められる
  • 学校の裏山に避難していれば、津波被害を回避できた可能性が高かった

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両陛下、岩手・大槌を訪問 ゆかりのホテルに宿泊

天皇、皇后両陛下は 28 日、羽田発の特別機で岩手県に入り、東日本大震災後初めて大槌町を訪れた。 19 年前に泊まり、被災後に「三陸花ホテルはまぎく」として営業を再開したゆかりのホテルに宿泊した。 ホテルの千代川茂社長 (66) は「お待ちしておりました」と両陛下を出迎え、天皇陛下から「頑張りましたね」と声をかけられると、思わず涙ぐんだ。 震災で行方不明の当時社長だった兄の山崎龍太郎さん(当時 64)や、妹の緑さん(同 53)の写真を持った親族に、皇后さまは「大変でしたね」とねぎらったという。

19 年前、山崎さんは両陛下と砂浜を散策し、後に皇居にハマギクの種を贈っていた。 その花が御所で咲いていることを知り、千代川さんは両陛下からの激励のメッセージと受け取り、営業再開にこぎつけた。 陛下の言葉に「胸がいっぱいになった。 頑張ったことが報われた。 岩手を忘れないで被災地を訪れて下さることは地域の喜び。」と話した。

両陛下が 19 年前に眺めた海岸のハマギクは半減し、砂浜も地盤沈下した。 陛下は「(当時の)砂浜はないんですね」、「東京はまだ咲いていない」と話し、侍従によると、両陛下は部屋で悲しそうな表情で外の様子を眺めていたという。 この日、両陛下は達増拓也知事らから復興状況の説明も受けた。 天皇陛下は知事に「農業の被害はどうですか」、「台風 10 号の被害はどうですか」などと質問していた。 (多田晃子、asahi = 9-29-16)

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震災復興、二極化進む 人もカネも都市に流入

東日本大震災から 4 年 8 カ月がたち、復興需要で活況を呈する地域と、復興が進まない地域の二極化が進む。 被災者が仙台市に流入し、他は一層過疎が進む。 企業の利益が増えたのは一時的な建設業を中心とした「復興バブル」に過ぎず、水産加工業など地場産業は立ち直れていない。

仙台市太白区の再開発地域「あすと長町」では、大型マンションの建設が目白押しだ。 販売中を含め 4 物件で 1,500 戸を超す大規模開発が進められている。 一帯は震災前、工業団地だったが企業誘致が進まず更地だった。 震災後に大型家具店やスーパーが次々開業した。 不動産業、山家雪雄さん (65) は「みるみる街が変わった」と話す。

仙台市は都市部の被害は少なかった。 家や職を失った沿岸市町村の被災者が流入し、人口は震災前より 3 万人増えた。 企業進出も相次ぎ、昨年度の法人数は震災前より約 1 割増えた。 中でも建設業は 2 割伸びた。 個人住民税は 2011 年度末に比べ 9.3%、法人は 36% 伸びた。 市町村税は 100 億円近く増えた。 市町村税の増えた額が 2 番目に大きかったのは、福島県いわき市。 福島第一原発事故による国の避難指示で多くが避難。 原発の廃炉作業の拠点となり、企業の売り上げが増えた。 (木村聡史、東野真和 茂木克信、杉村和将 長橋亮文、高田寛、asahi = 11-24-15)

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宮城・岩沼の集団移転で「まち開き」 1 千人が新生活

宮城県岩沼市で津波にあった人たちが集団移転してつくった玉浦西地区の「まち開き」が 19 日にあった。 被災地に 100 戸規模のまちが完成するのは初めて。 内陸部の 20 ヘクタールの造成地で約 300 世帯 1 千人が新しい暮らしを始めている。 式典では、中学 3 年の桜井未夢(みゆ)さん (15) があいさつ。 自宅を流され、4 年近く過ごした仮設住宅から今年 4 月、引っ越した。 「自分の部屋で勉強できることがうれしくてたまらない。 玉浦西がふるさとであることを、誇りに思ってゆく。」と話した。

出席した竹下亘復興相は「ふるさとに魂をうちこんでほしい。 きょうはスタートの日。」と激励した。 公園では「感謝祭」が開かれ、住民が餅や芋煮をふるまったり、踊りを披露したりした。 震災後に各地から来ていたボランティアも訪れ、再会を喜びあった。 (石橋英昭、asahi = 7-19-15)

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両陛下、宮城の被災地を訪問 震災から 4 年、心寄せ続け

天皇、皇后両陛下は 13 日、発生 4 年を迎えた東日本大震災の復興状況を視察するため、羽田発の特別機で宮城県に入った。 両陛下は被災地に心を寄せ続け、被災者を見舞ってきた。 震災後、同県訪問は 4 回目で、被害が大きかった石巻市や岩沼市などは初めて。

天皇陛下は震災 5 日後の 2011 年 3 月 16 日に国民へのメッセージをビデオで発表。 同月末からは、皇后さまと 7 週連続で被災地や避難所に足を運び、ひざをつくなどして被災者に声をかけた。 誕生日前の記者会見、新年一般参賀などでは震災へのお気持ちを繰り返し語ってきた。 お住まいの御所などで節電にも心掛けているという。

今回の訪問では、13 日午後に岩沼市の「千年希望の丘」で慰霊碑に花を供える。 14 日には東松島市のイチゴ栽培農家、15 日には震災翌月に製造再開した石巻市のかまぼこ工場をそれぞれ視察する。 宮内庁幹部は「震災を風化させまいという両陛下のお気持ちが込められた訪問」とみている。 (asahi = 3-13-15)

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「人災だ」大川小遺族 … 石巻市と県「予見不能」

東日本大震災の津波で、死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小の児童 23 人の遺族 29 人が市と県を相手取り、計 23 億円の損害賠償を求めた訴訟の第 1 回口頭弁論が 19 日、仙台地裁(高宮健二裁判長)であった。 市と県側は答弁書で「津波は予見できなかった」と主張し、請求棄却を求めた。 一方、原告側は閉廷後に記者会見を開き、「(予見できなかったとの主張は)言い訳だ」などと批判した。

法廷では原告 7 人が意見陳述。 長男の堅登(けんと)君(6 年)が死亡し、長女の巴那はなさん(4 年)が行方不明となった鈴木義明さん (52) は「児童らは先生の判断で犠牲になった。 人災であり、市は責任を取るべきだ。」と訴えた。

記者会見で、三男の雄樹君(6 年)を亡くした佐藤和隆さん (47) は「学校で子供が死んでも責任はないと言っていると感じた」と憤った。 長男の健太君(3 年)が犠牲となった佐藤美広(みつひろ)さん (53) は「『先生が助けなければならなかった』という判決を望んでいる。 それが今後の防災への提言になると思う」と語った。

大川小では児童 108 人と教職員 13 人のうち、84 人が死亡・行方不明となった。 原告側は地震後、教職員が積極的な情報収集をしていれば、津波の危険を予見できたと主張。 約 45 分間、児童を校庭に待機させたのは安全配慮義務違反と訴えている。 準備書面では、原因究明のため裁判官の現地視察と、現場にいて生き残った男性教諭の証人尋問を行うよう求めた。 (yomiuri = 5-20-14)

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使い切れぬ復興予算 事業進まず基金化 3 兆円 被災 3 県

東日本大震災の被災自治体で、使い切れない予算が急増し、「貯金」の残高が震災前より約 3 兆円積み上がっていた。 政府は 5 年で 25 兆円を復興事業に流し込む計画だが、被災自治体では予算を使う職員が足りず、残高が増える一方だ。

朝日新聞社は、岩手、宮城、福島の 3 県と各市町村について、自治体が決算をまとめて総務省に提出する「地方財政状況調査表」を入手。 2010 年度と震災後の 11、12 年度の 3 年分を分析した。 予算は何にいくら使うかの「計画」だが、決算は実際に使われた「結果」だ。 今回の震災では、自治体は使い切れなかった復興予算を、東日本大震災復興特別区域法などに基づき「基金」に積み立てている。 年度に縛られず復興事業を進めるためだ。 (asahi = 3-10-14)

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巨大防潮堤見直し広がる 岩手・宮城計 34 カ所引き下げ

岩手、宮城両県は、沿岸で計画する巨大防潮堤で、34 カ所で高さを当初の計画よりも引き下げることが朝日新聞の調べでわかった。 行政主導で建設を急いできたが、「景観を損ねる」など住民の意見を採り入れ始めた。 入札不調で着工が遅れていることから住民と協議する時間が生まれ、見直しは広がりそうだ。

東日本大震災で被災地の防潮堤は 8 割が壊れ、国や被災自治体は計約 1 兆円をかけて再建する。 2011 年秋に宮城、岩手両県がたてた整備計画では防災面を重視し、多くの防潮堤を震災前より高くし、最大で 15.5 メートルにする予定だった。 ところが、住民から「海が見えず、逆に危険だ」などの声が出始め、住民との協議で高さを見直す場所も出てきた。 岩手県では 135 カ所の整備計画のうち 21 カ所で、宮城県では 275 カ所のうち調整中を含め 13 カ所で下げる。 (asahi = 3-8-14)

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被災 3 県、再建にめどは 14% 資金難の仮設商店街

東日本大震災後に岩手、宮城、福島 3 県で開業した仮設商店街のうち、本格的な店舗で再建するめどが立っているのは 14% にとどまることが 6 日、共同通信のアンケートで分かった。 資金調達の難しさや、津波浸水地のかさ上げ事業などの遅れでまちの将来像が定まらないことが主因だ。

観光客や復旧工事関係者の減少などで、過半数は開業時より売り上げが縮小。 早い所では今春以降、施設の撤去期限を迎えるが、苦境は色濃く、市街地のにぎわい再生に影を落としている。 アンケートは 2 月、3 県沿岸部の市町村などが把握する 70 商店街の代表者を通じて実施。 81% の 57 商店街が回答した。 (kyodo = 3-6-14)

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「防波堤で被害拡大」岩手県、予測伏せる 国は復旧工事

【中山由美】 岩手県釜石市沖で、国が「釜石湾口防波堤」の復旧工事を進めている。 東日本大震災の津波で 8 割が壊れたが、震災から 5 カ月で 490 億円かけた再建を決めた。 だが、周辺の住民は「防波堤に跳ね返って高くなった波で、被害が大きくなったのでは」と調査を求めていた。 岩手県は、湾口防波堤の影響をひそかに検証したが、周辺の被害が拡大すると出た結果を伏せて、国の事業を静観している。

「約 30 年前に湾口防波堤を造る時から、高い波が来るって両石(りょういし)の人は思っていた。」 釜石市両石にあった自宅が流され、内陸の仮設住宅で暮らす久保典男さん (62) は打ち明ける。 両石は両石湾の奥にあり、市役所や製鉄所がある中心部から約 5 キロ北にある。 重要港を守るための釜石湾口防波堤の建設が 1978 年に始まる頃から、両石の人たちは不安を抱いていた。 「中心部は守られるが、両石へは、津波が防波堤で跳ね返って何倍も高くなって来るのでは。」 (asahi = 12-31-13)

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被災地防潮堤、住民から批判の声 無人島で再建計画

【青木美希、座小田英史】 東日本大震災の被災地で約 1 兆円をかけて整備を進めている防潮堤に対し、地元住民から「景観を損なう」、「無駄な事業だ」と見直しを求める声が高まっている。 震災直後に各自治体が急いで作った計画が、住民が描く地域の将来像とズレ始めているためだ。 政府は、24 日に閣議決定する来年度予算案に計上する復興費を、自治体の計画変更にあわせ柔軟に使えるようにする方針だ。

だれも住んでいない 4 島にある耕作放棄地の防潮堤を、20 億円で再建する計画を宮城県が進めている。 日本三景の一つ、松島の一角にある浦戸諸島。 白灰色の岩に松が生えた島が点在する。 小型船に乗り、塩釜港から 15 分。 いくつかの島の入り江には、高さ 3 メートルのコンクリートの防潮堤が見える。 島の農地を守るため、1980 年ごろに造られたという。

鷺島(さぎじま)の防潮堤の上に立った。 内側にはテニスコート 2 面分ほどの水田だった空き地には、雑草が生い茂っている。 さびた田植え機やポンプが放置されていた。 船で農機具を運ばなければならないなど手間がかかるため、10 年以上前に放棄されたという。 地元で釣り船を運航する鈴木勝良さん (71) は「耕す人もいないのに。 何のために直すんだ。」と首をかしげる。 (asahi = 12-24-13)

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津波対策 2 千億円あれば … 大阪府が推計「浸水域半減」

南海トラフ巨大地震に備えて防潮堤や堤防の沈下対策を完全に実施すれば、大阪府の津波浸水域は半減する。 ただし、事業費は総額 2,100 億円 - -。 大阪府が 31 日、こんな推計を発表した。 津波対策の効果を示し、国の予算獲得にもつなげたいという狙いがある。

30 日に府が発表した被害想定では、南海トラフ巨大地震と津波で最大 13 万人が府内で死亡する恐れがある。 地震による液状化で防潮堤や堤防が沈下し、大阪・梅田を含めて最大で 1 万 1 千ヘクタールが浸水するという。 今回の推計では、総延長 89 キロの防潮堤や堤防の地盤に杭を打ち込んだり、薬剤の注入で地盤を固くしたりしたうえで、水門や鉄扉をすべて閉鎖したと仮定。 その結果、浸水域は約 5,400 ヘクタールと半減し、大阪市の中心部は浸水を免れる。 1 メートル以上浸水する面積は 4 分の 1 に減るという。

対策には国や大阪市の予算も必要で、完了時期は見通せない。 松井一郎知事は「国土強靱化の優先順位のトップに大阪の津波対策を入れるべきだ」と語った。 推計は 31 1日に開かれた府の有識者会議「南海トラフ巨大地震土木構造物耐震対策検討部会」で示された。 (asahi = 11-1-13)

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復興予算 1.3 兆円「被災地と無関係」 検査院が認定

【金子元希】 被災地以外への流用が指摘されている東日本大震災の復興予算をめぐり、会計検査院が 2011 - 12 年度に実施された 1401 事業を調べ、23% にあたる 326 事業について「被災地と直接関連がない」と認定したことがわかった。 これらの事業には 1 兆 3 千億円が使われており、復興予算として支出された金額の 11% にあたる。

国会の要請で調べていた検査院は 31 日、「復興予算は増税による国民負担が財源。 事業の優先度を適切に考え、説明責任を果たすべきだ。」と報告した。 復興予算では相次ぐ流用が問題となり、政府が 12 年 11 月、被災地以外の官庁施設の耐震改修など 35 事業 168 億円分の執行を停止。 被災地の復興に直結しない事業は認めないとする「考え方」を示した。

検査院はこれに従い、11、12 年度の復興予算 19 兆 9 千億円から特別交付税などを除いた 1,401 の復旧・復興事業 15 兆 2 千億円(11 兆 4 千億円が支出済み)分を、被災地との関連から分類した。 その結果、912 事業は復興に直結するとしたうえで、被災地以外の津波対策や学校耐震化を含む計 1,075 事業について復興との関連を認めた。 一方、残る 326 事業は防災などが目的であっても、被災地と直接の関連はないとされた。 朝日新聞が「流用」と報じた農林水産省の調査捕鯨への支出なども含まれる。

復興予算については、予算が消化されず、被災地の復興につながっていないという批判も根強い。 検査院の調べでは、12 年度までの復興予算の 4 分の 1 弱にあたる 4 兆 5 千億円が使われていない。 「被災地の作業員や資材が足りない」、「住民と調整がつかない」などの理由で復興事業が進まないことが主な原因だ。 (asahi = 11-1-13)

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大川小、津波対策の事前協議「ほぼなし」 検証委調査

東日本大震災で児童と教職員計 84 人が死亡・行方不明となった大川小学校(宮城県石巻市)の惨事を調査している専門家らの検証委員会は 7 日、「中間とりまとめ案」を公表した。 検証委のアンケートに対し、震災前に同小に勤務した教職員の多くが「(職員会などで津波について)話題にしたり話し合ったりしたことはない」と回答したという。

検証委は文部科学省主導で 2 月に発足。 この日、3 回目の会議があった。 中間とりまとめ案によると、アンケートは 1999 - 2010 年度に同小に在籍していた 38 人が対象で、20 人が回答。 職員会などで津波について「対策が話し合われた」と答えた人はなく、「心配していなかった」と答えた人が 18 人にのぼった。

災害時の学校の対応マニュアルを十分に理解していたのは 8 人にとどまった。 同小のマニュアルでは、津波時の避難場所は「近隣の空き地・公園等」とあるだけで具体的には記されておらず、避難の遅れにつながったとされる。 災害時の保護者への引き渡し訓練も実施されず、「事前の準備はずさんな状態だった」と指摘した。 (asahi = 7-8-13)

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