=== 東北大地震の被害状況 (d-2) ===

宮城・塩釜漁港の東防波堤の一部が倒壊

宮城県は 3 日、同県塩釜市の塩釜漁港にある東防波堤の一部が倒壊したと発表した。 付近に養殖施設があり、県は漁業者らに注意を呼びかけている。 県漁港復興推進室によると、全長約 1,440 メートルの防波堤で、長さ 120 メートルにわたって外洋側に倒壊、うち 60 メートルが水没した。 同日朝、地元建設業者が倒壊を見つけた。 防波堤では昨年 12 月、一部が外洋側に最大約 30 センチ傾いているのが確認され、県は倒壊の恐れがあるとして、周辺への立ち入りを規制した。

県は 1 月に現地で海中調査を実施し、水没した 60 メートル区間で海底地盤が深くえぐられているのを確認。 同推進室は、震災の津波でえぐられた可能性があり、防波堤を支えるくいが露出したことで揺れやすい状態となり、「波や余震が作用して傾きが始まったものとみられる」としている。 防波堤は県が整備し、平成 5 年度に完成した。 県は今月中に倒壊の拡大防止の工事に着手し、その後、倒壊部分の撤去を始めたいとしている。 周辺では注意喚起のブイを増設する。 (sankei = 4-3-19)



<南三陸防災庁舎> あの日の姿再び 補修完了

東日本大震災の津波で町職員ら 43 人が犠牲になった宮城県南三陸町防災対策庁舎の補修工事が終わり、15 日、報道関係者に公開された。 覆っていたシートが 3 カ月ぶりに外され、震災直後の様子を再現した赤茶色の鉄骨が再び姿を現した。 海水にさらされた柱や鋼材、階段にさび止めを施し、被災直後の色に塗り直した。 曲がるなどした部材は外れないよう固定。 排水対策として屋上に雨どいを設置した。補修工事費は約 4,340 万円。 足場やシートは月内に全て撤去される。

様子を見守った町内の会社役員の男性 (63) は「庁舎で波をかぶりながら生き延びた同級生を思い起こす。 津波の恐ろしさを伝えるため、残していくことが大切だ。」と話した。 庁舎は、震災遺構として保存するかどうか町が判断するため、県が 2031 年まで維持管理する。 河川工事などのため 17 年度までは周辺に立ち入りできない。 (河北新報 = 2-16-17)

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東日本大震災の余震か 1 週間程度は M7 級の可能性

気象庁によると、震源は福島県沖の深さ 25 キロで、地震の規模を示すマグニチュード (M) は 7.4。 2011 年 3 月 11 日の東日本大震災の余震とみられる。 気象庁は午前 6 時 2 分に福島県に津波警報を発令。 12 年 12 月に宮城県三陸沖で起きた地震以来の津波警報となった。 東北から関東までの太平洋岸に津波注意報を発令した。 東北から伊豆諸島にかけての広い範囲で津波を観測し、宮城県の仙台港には午前 8 時 3 分、高さ 1.4 メートルの津波が到達した。 予想(約 1 メートル)を上回って津波警報の基準(1 メートル超)を超えたため、午前 8 時 9 分に宮城県にも津波警報を発令した。

その後、午前 9 時 46 分に福島、宮城両県に出していた津波警報を注意報に引き下げた。 東北ではこれまでも年 1 回程度は M7 クラスの余震が起きている。 今回は地震の規模が比較的大きく、震源が浅いことや、断層が上下にずれたことから津波が発生したとみられる。 中村浩二・地震情報企画官は「今後 1 週間程度、M7 クラスの地震が起きる可能性がある」と説明している。 (asahi = 11-22-16)



奇跡の一本松 最後の枝葉付け復元完了 岩手・陸前高田

【杉村和将】 東日本大震災の大津波に耐えながら枯死した岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が 3 日、復元された。 最上部の枝葉が再び取り付けられ、全体の姿が復元された。 本来は 3 月に完了するはずだったが、枝葉と幹をつなぐ角度のミスで、工事をやり直していた。 早ければ 9 日に足場が取り外され、元の姿を取り戻す。

一本松は、高さ約 27 メートルのうち、20 メートルの辺りから枝葉が広がる。 最上部に取り付ける枝葉は高さ約 7 メートル、重さ約 900 キロ。 3 日は、正確な角度で取り付けるよう、測量士が 3D 画像と照合しながら作業した。 夫婦で被災地めぐりをしているという名古屋市の宮田茂さん (75) はこの日、偶然訪れ、「この細い幹でよく持ちこたえましたね。 災害を風化させないために一本だけ残ったのかな。 そんな気がします。」 (asahi = 6-3-13)

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東北 6 県の観光宿泊、まだ 2 割減 全国より回復鈍く

東北 6 県を 2012 年に観光で訪れ、宿泊した人の数が、東日本大震災前の 10 年より 2 割ほど少ない水準にとどまったことが 8 日、わかった。 全国的には震災前の水準にほぼ戻っているのとは対照的だ。 震災や原発事故の影響が残るが、県によっても差は大きい。

観光庁が 8 日発表した統計によると、12 年に「観光での宿泊客が半分以上」というホテルや旅館(全国で約 3 万 2 千カ所)に泊まった客は、東北 6 県で延べ約 1,708 万人だった。 暫定の推計値だが、震災前の 10 年(確定値)より 19.0% 少ない。 震災の影響で落ち込んだ 11 年と比べても 5.9% 減っている。 日本全体でみると、12 年は 2 億 1,285 万人で、10 年比で 1.6% 減と震災前にほぼ戻りつつある。 (asahi = 3-9-13)

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被災 3 県、漁業者 6 割減 船・港流され復旧も遅れ

東日本大震災で船や道具を流されたり設備が壊れたりして、宮城、岩手、福島の 3 県で漁業で働いている人が、5 年前から 6 割減ったことが総務省の調査でわかった。 特に漁業がさかんな宮城では 7 割減。 岩手も半減した。 5 年に 1 度行う就業構造基本調査のうち、被災 3 県に住んでいる人について集計し、8 日発表した。 調査は 2012 年 10 月に全国で行い、仕事の内容や収入などを聞いた。 全国結果は 7 月に発表する。

3 県で漁業で働く人は、前回 07 年調査の 2 万 2,900 人から 9,200 人になった。 気仙沼市や石巻市などがある宮城は 1 万 1,00 人から 2,800 人まで減った。 岩手は 9,900 人が 5 千人に、福島は 1,900 人が 1,400 人になった。 (asahi = 3-8-13)

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「避難に問題」七十七銀行員遺族らが同行提訴へ

東日本大震災で七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の行員らが犠牲になったのは、同行が安全配慮義務を怠ったためとして、行員やスタッフ 3 人の遺族らが総額約 2 億 3 千万円の損害賠償を求めて提訴することを決めた。 震災から 1 年半の 11 日、仙台地裁へ訴状を提出する。

あの高台へ逃げていれば

遺族側や銀行側によると、女川支店では昨年 3 月 11 日、地震直後の大津波警報を知った当時の支店長が、2 階建て支店の屋上への避難を行員らに指示。 13 人が屋上に集まったが、津波は屋上に到達し、全員が流された。 1 人は救助されたが、4 人が遺体で発見され、8 人は行方不明となっている。 (asahi = 9-10-12)

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「最後」の週末に人の波 奇跡の一本松に祈りの列

東日本大震災の津波に耐えた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」を訪れる人が絶えない。 すでに枯死した一本松は、保存処理のため 12 日にいったん切り倒される。 直前の週末となった 8 日は朝から多くの人が足を運び、手を合わせたり、線香を手向けたりする人の姿があった。

一本松周辺にはがれき仮置き場があり、津波で壊滅した旧市街地の中心部も広がる。 高校生のときに神戸で阪神大震災を経験したという主婦の林美穂さん (34) は東京から訪れた。 「一度来なければいけないと思っていました。 一本松の姿だけでなく、1 年半たってもまだこれほど周りがひどい状態であることに、ショックを受けました。」 そう語り、涙ぐんでいた。 (asahi = 9-9-12)

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「がれき受け入れで苦痛」と提訴 北九州市民ら 142 人

北九州市が宮城県石巻市の震災がれきの受け入れを決めたことで精神的苦痛を受けたとして、受け入れに反対する市民ら 142 人が 27 日、北九州市と宮城県に計約 1,500 万円の損害賠償を求める訴訟を福岡地裁小倉支部に起こした。

訴状で市民らは「宮城県が大手ゼネコンでつくる共同企業体 (JV) と交わした契約では、がれきの処理権限は JV に移っており、宮城県には搬出の権限がない」と主張。 広域処理にかかる費用や、5 月に実施した試験焼却の手順にも違法性があったとしている。 (北海道新聞 = 7-27-12)

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宮城・福島で海水浴場再開へ 1 カ所ずつ、7 月オープン

宮城県と福島県で今月、東日本大震災後初めて海水浴場が 1 カ所ずつ再開される。 がれきを取り除き、海水の放射線量も調べ、安全を確かめた。 しかし、東京電力福島第一原発に近い地域は、海水浴には程遠い。

宮城県気仙沼市の大島にある小田(こだ)の浜。 打ち寄せる波が防砂堤にぶつかり、しぶきをあげる。 防砂堤は砂浜の内陸側にあったが、津波で砂浜の多くが失われ、波が押し寄せるようになった。 ここの海水浴場が 21 日、オープンする。 2006 年、環境省の「快水浴場百選」で特選になった。 半円形の海岸線に砂浜が広がり、背後には松林。 波が穏やかで震災前は子供連れでにぎわったが、気仙沼大島観光協会によると、津波で砂浜は 3 分の 1 に減り、松林は枯れた。 (asahi = 7-4-12)

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震災が原因の労災死 1,314 人 震災死者の 1 割占める

厚生労働省は 25 日、2011 年に労働災害で死亡し、労災認定されるなどした人は 2,338 人で、うち 1,314 人は東日本大震災が直接の原因だったと発表した。 大震災による死者全体の 1 割近くにあたる。 震災以外が原因だったのは前年から 171 人減の 1,024 人で、過去最少だった。

労働災害は、雇われている人が業務や作業が原因で死傷したケースを指し、自営業者などは含まれない。 震災を直接の原因として死亡した人を地域別にみると、宮城が 821 人、岩手が 401 人、福島が 72 人で、3 県で計 98.5% を占めた。 7 割は津波に巻き込まれて亡くなったという。 震災が原因で 4 日以上の休業が必要なけがをした人は、1,513 人だった。 これらとは別に、復旧・復興作業では建設業を中心に 27 人が亡くなり、455 人がけがを負った。 (asahi = 5-25-12)

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震災で流失、岡倉天心の六角堂再建 茨城大

東日本大震災の津波で流失した茨城大学五浦美術文化研究所六角堂(茨城県北茨城市)が再建され、17 日に完成式があった。 茨城大の池田幸雄学長が「六角堂の復元が復興の象徴になることを願う」と述べた。 流失した六角堂は、明治時代の美術界指導者、岡倉天心の設計で 1905 年に建てられた。 海に突き出た岩場にあり、天心が思索にふけった場所とされる。

新しい六角堂は、木造平屋で高さ約 4.8 メートル、床面積は約 10 平方メートル。 赤茶色の顔料が塗られ、屋根頂上部の宝珠が天をさす。 宝珠には、海中から見つかった前の六角堂に使われた水晶を据え付けるなど、創建当時の姿に可能な限り近づけたという。 (asahi = 4-17-12)

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被災地「産後うつ」の疑い 20% 超す 東北大調査

東日本大震災の発生前後に出産し、現在、宮城県沿岸の被災市町に住む母親のうち、「産後うつ」と疑われる状態の人が 20% を超えていたことが東北大の調査で分かった。 通常は 10 - 15% といい、被災地で暮らす母親が厳しい状況に置かれている実態がうかがえる。 専門家は「ストレスを抱えていることに外見からは気付きにくい。 周囲が気をつけてあげてほしい。」と指摘している。

東北大の菅原準一教授(産科)らが昨年末から今年 3 月、県内の病院や産婦人科クリニックなどを通じ、震災前後に出産した約 700 人にアンケートを実施。 「悲しくなったり惨めになったりした」、「自分自身を傷つけるという考えが浮かんできた」といった気持ちになる頻度などから病状を調べた。

その結果、精神科医ら専門家によるケアが必要な「産後うつ」が強く疑われる母親は 21.5%。 「津波被害を受けた」と答えた母親に限ると 28.7% と多く、実家も含めて避難が必要だった母親も 23.9% にのぼった。 「津波被害がなかった」と答えた人でも、18.1% で疑いがあったという。 (asahi = 4-12-12)

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震災避難者数、全国に 33 万人 被災 3 県の人数判明

東日本大震災による避難者数について、政府の復興対策本部は 24 日、32 万 8,903 人(17 日現在)が確認されたと発表した。 岩手、宮城、福島各県の仮設住宅や公営住宅などに入居している人数が把握できたのは今回が初めて。

今回確認した避難先は 47 都道府県の 1,215 市区町村。 避難先の内訳は、避難所 777 人、旅館・ホテル 710 人、親族・知人宅など 1 万 7,304 人、仮設住宅などは岩手県 4 万 1,587 人、宮城県 12 万 1,991 人、福島県 9 万 4,210 人、その他の都道府県 5 万 2,324 人。

避難者数については、これまで公民館や学校などの避難所、旅館・ホテルの人数は確認できていたが、被災 3 県の仮設住宅などは、各自治体で人数が把握できなかったため戸数で発表していた。 (asahi = 11-24-11)

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震災時の都内高層ビル「身動き難しく」 気象庁調査

東日本大震災時に起きた長周期地震動について気象庁が都内の高層ビルの状況を調べたところ、半数で身動きできないほどの揺れがあった。 同庁が 14 日に立ち上げた有識者会議で報告された。 今後、地震発生時に、揺れが到達するより早く長周期地震動の大きさなどを知らせる仕組みをめざし、同会議で議論する。

調査の対象は、都内の高さ 60 メートル以上の高層ビルのうち 34 棟。 おおむね 20 階以上に相当する。 震災時にビル内にいた管理会社やテナントの従業員などから当時の様子を聞き取り調査した。

その結果、約 9 割にあたる 30 棟で非常階段の壁などにひび割れが出来た。 18 棟で天井が破損したり変形したりした。 6 棟で背の高い棚などが倒れ、5 棟では、コピー機が移動していた。 転倒や移動したものは、いずれも固定されていなかった。 スライド式の本棚が左右に大きく揺れて壊れる例もあった。

一方、揺れのため「歩けない」、「立っていられない」といった状態になったのが 17 棟、「歩けた」という回答は8棟のみだった。 エレベーターロープが傷ついたり、絡まったりするトラブルも 4 棟で起きた。 (asahi = 11-15-11)

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福島沿岸で一斉捜索 原発近くの波打ち際も

東日本大震災から半年を迎えるのを前に、福島県の沿岸部で 7 日、県警などが行方不明者の一斉捜索を行った。 東京電力福島第一原発から約 1.5 キロの大熊町夫沢地区では、警察官が波打ち際の消波ブロックの間のがれきを取り除きながら、確認した。 一斉捜索は 8 日まで行う。

この日は警察官約 120 人と消防職員約 10 人を動員。 大熊町の捜索現場で松本光弘・県警本部長は報道陣に、「一人でも多くの方をご家族のもとへ帰したい。 3 月 11 日午後 2 時 46 分で心の中の時計が止まっているご家族の思いを胸に抱き、力の限りできることをしていきたい。」と話した。 県警によると、県内の行方不明者は 7 日現在、241 人。 (片山健志、asahi = 9-7-11)

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海底のヒ素、津波で岸に 東北大、岩手・宮城の 36 地点

ヒ素を含む海の泥が三陸沿岸に打ち上げられていることが、東北大の調査でわかった。 環境基準を超える濃度を検出したのは、調査した東日本大震災の被災 3 県 129 地点のうち 36 地点。 土屋範芳・同大学院教授は「過去に流れ込んで海底にたまっていたヒ素が津波で巻き上げられたため」とみている。

東北沿岸にはかつて鉱山が多く、製錬時にヒ素や重金属が出ていた。 ヒ素は自然界にもあり、2006 - 08 年の東北大調査でも宮城県沿岸の土壌から検出されていた。 ヒ素が溶けた水を長期間飲むと皮膚が黒ずみ、手のひらや足の裏が硬くなる。 肝臓や腎臓の機能が低下することもある。 稲の生育にも影響を与える恐れがあるという。

東北大は 6 - 7 月、岩手県久慈市から福島県相馬市までの海岸沿いや津波がさかのぼった川岸で、津波で海から運ばれてきたとみられる泥を採取・測定した。

ヒ素の環境基準(水に溶け出すヒ素の量が 1 リットルあたり 0.01 ミリグラム以下)を超えた地点があるのは岩手、宮城の両県。 岩手県の大船渡港では基準の 5 倍超、野田村や宮城県の岩沼市と名取市で約 4 倍だった。 土屋教授は「神経質になる必要はないが、4 - 5 倍の地域では、がれき撤去時に吸い込まないよう、手袋やマスク、手洗いは必須」という。 (asahi = 9-3-11)

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震災後断水の住宅 230 万戸 揺れや液状化で被害

東日本大震災の発生後、少なくとも計約 230 万戸の住宅で水道が断水していたことがわかった。 国土交通省が 31 日に公表した 2011 年版「日本の水資源(水資源白書)」で明らかにした。 揺れと土地の液状化による影響が大きかったとみられ、対策が課題になっている。

都道府県別では、宮城(62 万戸)、茨城(47 万戸)、福島(42 万戸)、千葉(37 万戸)、岩手(24 万戸)の順で被害が大きかった。 東北では揺れ、関東では液状化の被害が大きく、水道管のつぎ目がずれたり、浄水場の送水管がこわれたりしたことで、断水が起きたとみられる。 震災後に復旧が進んだものの、4 月上旬の余震後に再び断水する地域も目立った。 (asahi = 7-31-11)

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津波でウニ・アワビ激減 岩手・大槌湾、東大が潜水調査

岩手県の大槌湾で 11 - 12 日、海底の生き物への津波の影響をみる初めての潜水調査があった。 調査した東京大学大気海洋研究所の河村知彦准教授によると、ウニやアワビなどの減少が確認された。 「えさになる海藻は多いので数年で回復する。 今年の漁は控えめにした方がいい。」としている。

同研究所と水産総合研究センターが 5 年前から、同県大槌町長根島周辺の水深約 10 メートルの海底で年 4 回定点観測してきた。 (asahi = 7-13-11)

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被災地に震災後初の津波 高台避難の住民「恐怖心残る」

東北・三陸沖を震源とする地震が 10 日午前 9 時 57 分ごろあり、盛岡市や宮城県石巻市、福島県田村市など 11 市町村で震度 4 の揺れを観測した。 この地震で、東日本大震災で被害の大きかった岩手、宮城、福島の 3 県で津波を 3 月 11 日の本震以降、初めて観測した。 沿岸には一時、津波注意報が出された。

気象庁によると、宮城県金華山沖の全地球測位システム (GPS) 波浪計で 10 日午前 10 時半ごろに約 20 センチの津波を観測、岩手県大船渡市、福島県相馬市でも各約 10 センチの津波を記録した。 津波注意報を受けて、岩手県大槌町や宮城県東松島市では避難指示、ほかの各地でも避難勧告が出された。 岩手県大船渡市では「沿岸の住民は十分警戒してください」などと注意を呼びかける防災無線と消防車のサイレンが鳴り響いた。

孫娘 (5) と高台に避難した岩手県大船渡市大船渡町笹崎の女性 (55) は「孫娘が地震やサイレンを怖がる」と海岸線を見つめた。 孫娘は「一人は怖いでしょ。 みんなでいると安心。」 震災で親類を亡くした女性 (76) は「まだ恐怖心があります」と不安を口にした。 (asahi = 7-11-11)

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