=== 海外の反応 (f-2) ===

韓国で東日本大震災の記録映画上映 家族失った人を追う

東日本大震災で家族を失った人らのその後を追ったドキュメンタリー映画「一陽来復(いちようらいふく、尹美亜監督、心の復興映画製作委員会)」がソウルの映画館で上映され、30 日夜、尹監督と出演者が舞台あいさつをした。 韓国では東日本大震災は東京電力福島第一原発事故のイメージで語られることが多く、被災地を広くとらえた記録映画が劇場公開されるのは珍しいという。

映画は、2016 年夏から翌年春にかけて岩手、福島、宮城県で、被災者や家族らを撮影した。 周囲の人たちと支え合い、喪失感や葛藤を乗り越えて、新たな一歩を踏み出す人たちを、復興が進む被災地の風景とともに映し出している。 日本では昨年 3 月に全国で公開された。 韓国での題名は「ポムン オンダ(春は来る)」。 韓国では 14 年 4 月、修学旅行生ら約 300 人が死亡・行方不明となった旅客船セウォル号事故が発生して遺族らのケアが課題になっており、映画関係者が「韓国にも痛みを抱えている人がいる」と上映の実現に奔走したという。 (ソウル = 武田肇、asahi = 3-31-19)



「震度 4」で 1 千棟損壊、韓国社会に衝撃 備え欠如か

韓国南東部の慶尚北道(キョンサンプクト)・浦項(ポハン)市で 15 日に発生した地震が韓国社会にショックを与えている。 韓国気象庁によると、地震の規模はマグニチュード (M) 5.4 で、「日本の震度 4 の弱い方(日本の地震専門家)」とされるが、1 千棟以上の建物が損壊し、76 人が重軽傷を負った。 地震への備えの欠如や手抜き工事が指摘されており、日本との協力に関心が集まっている。

「余震が起きても緊張しないで。」 23 日、全国統一の大学修学能力試験(修能)が行われた浦項市の会場は保護者や教員らが見守る中、特殊救助隊員や避難用バスが待機し、異様な雰囲気に包まれた。 受験生の女子高校生 (18) は「今日だけは地震が起きないで」と祈るように話した。 日本のセンター試験に相当する修能は 16 日の予定だったが、その前日の地震発生を「非常事態」と判断した文在寅(ムンジェイン)政権が延期を決断した。 浦項市では余震が 63 回起きており、文氏は試験中に余震が起きた場合に備え「可能な全ての行政力の動員」を指示した。

韓国と日本の震度は基準が異なり、単純に比較できない。 過去に日本で発生した M5.4 の地震では、震度 4 - 5 弱の例が多い。 この規模の地震は日本では珍しくないが、韓国が今回、国を挙げた対応をしているのは、昨年 9 月に慶尚北道慶州(キョンジュ)市近くで M5.8 の地震が起きるまで、地震観測を始めた 1978 年以降、財産被害が出る地震がほぼなかったことがある。 (ソウル = 武田肇、asahi = 11-23-17)



震源近くの二つの町、明暗分けたのは … イタリア地震

イタリア中部を襲った地震で、震源の近くにありながらほとんど被害を受けなかった町がある。 26 日に訪れると、過去の地震の教訓が命運を分けた実態が見えてきた。 今回の地震で亡くなった人は、27 日午前(日本時間同日夕)までに 290 人に達した。

トリュフが特産で聖ベネディクトの故郷としても有名なノルチャ。 中世に建てられた大聖堂がある広場を中心に城壁に囲まれ、多くの観光客が訪れる。 米地質調査所 (USGS) によると、今回の地震はノルチャの南東約 10 キロが震源だったが、中心部はほとんど大きな被害を受けなかった。 ゴムと金属の板を石材の間に挟むなどの耐震対策が各戸でなされていたことが、理由とみられている。

一方、町全体が崩壊し、230 人の死者を出したアマトリーチェは震源から南東約 15 キロ。 死者ゼロのノルチャとは、対照的だ。 人口 5 千人のノルチャはここ数十年何度も大地震に見舞われた。 1979 年の地震で歴史的な建物を含む多くの家屋が大きな被害を受けた。 アッシジで大聖堂の屋根などが崩落した 97 年の地震の際も、激震が町を襲った。 そのたびに町全体で耐震化の努力が続けられてきた。

防災対策本部には 26 日、市民らが続々と相談に訪れていた。 テウタ・トザイさん (51) は「自宅の壁にひびが入り、心配で。 最初の 2 日はガレージで眠った。」 希望者は全員が無料で耐震診断を受けられ、手当てが必要な場合は自治体から補助が出るという。 役場のサンタ・フナリさん (58) は「すでに約2 千人が相談にきた」と語った。 ノルチャがあるウンブリア州は、中世の石造りの町並みと自然の調和が美しく、多くの外国人観光客も訪れる。 耐震だけを考えて近代的な建築にすれば魅力が半減してしまう。

パビア大学のパオロ・バズッロ教授(耐震建築)は石造りの建物について「現代建築のレベルの耐震性は望めない。 だが、外観を全く変えずに倒壊を防止し、人的被害を防ぐことは建設費の 10 - 20% の費用で十分可能」と指摘する。 例えば、柱やはりの間に単純な構造のプレートを置くだけで安全性は高まる。

ただ、地震のたびに街並み再建が強調される一方、耐震補強は後回しにされがち。 レプブリカ紙は、政府は 1960 年代以降に 1,500 億ユーロ(約 17 兆円)を地震後の建物建設に充てたが、防災対応に割かれたのは 10 億ユーロだけとする。 今回の地震では、人口密集地では周辺の建物が倒壊して巻き添えになったケースもみられた。 地質学者のアンドレア・モッティさん (53) は「大切なのは 1 戸ずつではなく、地区全体として耐震対策を行うことだ」と語った。 (ノルチャ = 山尾有紀恵、ローマ = 喜田尚)

アペニン山脈沿い、ひずみたまり地震多発

米地質調査所によると、今回の地震の震源は深さ約 10 キロ。 今年 4 月の熊本地震の本震とほぼ同じ深さで、比較的浅い場所で起きた内陸型地震だ。 地中海でアフリカプレート(岩板)とユーラシアプレートがぶつかり合う影響で、イタリア半島の内陸部にはひずみがたまり、アペニン山脈沿いは地下に多くの活断層が走る地震の多発地帯だ。 今回の地震は、1997 年にアッシジで起きたマグニチュード (M) 6.4 の地震と、2009 年に 300 人以上が犠牲となったラクイラの地震 (M6.3) の中間で発生した。

ラクイラ地震で現地に入った名古屋大の山岡耕春教授は「これまで地震が起きていなかった所で、たまっていたエネルギーが解放された」とみる。 「イタリア中部は M6 級の地震が 10 年に 1 回程度起きるが、地震の活動度は日本ほど高くないので古い建物が残りやすい」と話す。 (野中良祐、asahi = 8-27-16)


11 月 5 日が世界津波の日に 日本提案、国連が決議採択

国連総会第 2 委員会は 4 日(日本時間 5 日未明)、11 月 5 日を国連の共通記念日の「世界津波の日」とする決議を全会一致で採択した。 日本政府が提案し、日本を含む 142 カ国が共同提案国となった。

11 月 5 日を「津波の日」としたのは、1854 年の旧暦 11 月 5 日に起きた安政南海地震の際、いまの和歌山県広川町の実業家だった浜口梧陵(ごりょう)が稲わらに火をつけ、村人を高台に導いて大津波から命を救った逸話「稲むらの火」に由来する。 日本政府は東日本大震災が起きた後、2011 年 6 月に津波対策推進法によってこの日を「津波防災の日」とした。 今春、仙台市で第 3 回国連防災世界会議が開かれたのを機に、和歌山県出身の二階俊博・自民党総務会長が主導して国連の共通記念日とするよう各国に働きかけていた。

二階氏は 5 日午前、地元で記者会見し、「こうした大事なことは皆さんに分かってもらえるはずだと思っていた。 常に津波に対する備えをしておかないといけない。」と語った。 安倍晋三首相は「心から歓迎します。 日本が培った防災の知見や経験をいかし、今後ともより強靱な国際社会の構築に貢献していきます。」との談話を発表。 岸田文雄外相は「決議の実施を通じ、世界の一人でも多くの尊い命が津波から救われるよう貢献していく」との談話を出した。 国連の共通記念日には、インドが提唱した「ヨガの日」や、「トイレの日」など 125 件あり、法的拘束力や行動義務はない。 (武田肇、asahi = 12-5-15)


ネパール大地震、死者 1,800 人超 国際支援の動き拡大

【ニューデリー = 共同】 ネパール中部で 25 日に起きた大地震で、同国警察当局者は 26 日、死者が 1,805 人に達したと明らかにした。 首都カトマンズなどに非常事態を宣言したネパール政府は、被災者の捜索や救出活動を急いでいる。 負傷者は 4 万 5 千人に達したとの報道もある。 ケリー米国務長官は 25 日、米国際開発局 (USAID) が災害支援対策チームの派遣準備に入ったことを表明した。 緊急措置で 100 万ドル(約 1 億 2 千万円)の資金拠出も決定。 欧州連合 (EU) も支援を検討している。 ネパールでは約 80 年ぶりともされる大規模な地震災害を受け、国際支援の動きが広がっている。

また、ネパールには約千人の在留邦人が在住、カトマンズの日本大使館が被害状況の把握を進めている。 大地震では、耐震性の弱い建物の崩壊で人々が下敷きとなった。 余震でさらに崩れることを恐れ、カトマンズなどでは 25 日夜から 26 日未明にかけ、多くの人々が屋外で夜を過ごした。 電気や通信の遮断などライフラインが混乱しており、全容解明にはなお時間がかかる見込み。 (nikkei = 4-26-15)


漁船の魚、生きたまま 8 千キロ漂流? 大震災で被災か

東日本大震災で流されたとみられる漁船の船体の一部が、米西海岸オレゴン州の沖合で見つかった。 中には日本の近海に生息する魚約 20 匹が生きたまま入っており、同州は 4 年以上かかって太平洋を約 8 千キロ漂流したとみている。 魚は水族館が引き取り、漁船は解体される見通しだ。

オレゴン州公園事務所によると、漁船の一部は 9 日、海岸線から 5、6 キロの沖合で見つかった。 長さ 7 - 9 メートルで、全長 15 メートルほどの漁船の船尾とみられるという。 漁船のいけすの中では、日本近海に生息するヒラマサ 20 匹とイシダイ 1 匹が泳いでいた。 同事務所のクリス・ハーベルさんは「いけすの一部に穴が開いており、そこから海水が入り込み、生き延びたのではないか。 ただ、津波で船が流された後に穴から魚が入った可能性もあり、今後、専門家が詳しく調べる」と話す。 (ニューヨーク = 宮地ゆう、asahi = 4-13-15)



外国人が見た被災地の外国人 中国人女性、記録映画制作

【松原央】 中国語でアイデンティティーを意味する「身分(シュンフン)」。 そんなタイトルのドキュメンタリー映画が、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県の沿岸部を舞台に、中国人女性の手によって撮影された。 主役は中国や台湾、フィリピンから嫁いできた外国人妻たちだ。 外国人の目を通して見た被災地の外国人。 そんなユニークな作品が、震災から 2 年を経て完成に近づいている。

北野映画に魅せられて日本へ

2011 年 3 月 11 日の地震で市街地を津波が襲い、死者・行方不明者 4 千人を出した石巻市。 3 月上旬、横浜市から夜行バスでやってきた白諦さん (29) を出迎えたのは、石巻で活動する外国人妻の親睦グループ「ハッピーママの会」のリーダーで台湾出身の杉山美恵さん (52) と中国出身の畢麗君さん (45) の 2 人だった。

「あんまりよく来るから近所の人が本当の娘だと思ってたのよ。」 杉山さんが切り出し、日本語と中国語を交えた思い出話に花が咲く。 白さんが愛用のデジタル一眼レフカメラを取り出し、2 人にレンズを向けて録画ボタンを押した。 白さんは東京芸大大学院映像研究科で学び、昨年 4 月に卒業。 その翌月、初めて監督作品として取り組むドキュメンタリーの取材でこの 2 人に出会った。

白さんは中国でも有数の名門美術大学、南京芸術学院でアニメーションを専攻し、卒業後はインテリアなどのデザイナーとして働いていた。 だが、北野武監督の「菊次郎の夏」などに魅せられて日本映画にあこがれ、かつて北野監督が教えていた東京芸大の映像研究科を留学先に選んだ。

震災後は原発事故の影響を心配した両親に説得され帰国した。 しかし、中国で見た被災地のニュース映像は、自分が日本では気づかなかった日本人の「強さ」を伝えていた。 日本への思いが募り、周囲の反対を押し切って震災から 1 カ月後に日本に舞い戻った。 来日時は 2 年の修士課程を終えて中国に帰ろうと思っていた。 「なぜ震災後、そこまで愛着を感じたのか自分でも不思議だった。」

答えを求めて滞在を 1 年間延長し、震災後も被災地に残ることを選んだ外国人たちの取材を始めた。 中でも強く引きつけられたのが、古い家族観と慣習が残る東北の漁村や農家に嫁いだ外国人妻たちだった。 日本に対する複雑な思いを抱きながら、家族のため、地域のため、同胞のために奮闘する女性たちの姿が心をとらえた。 (asahi = 3-10-13)

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北米の震災がれき処理に 4.7 億円 首相 8 日表明へ

東日本大震災の津波で太平洋に流れ出たがれきが北米各地に漂着している問題で、野田佳彦首相は米、カナダ両国の対象の各州に計 600 万米ドル(約 4 億 7 千万円)を供与する方針を決めた。 アジア太平洋経済協力会議 (APEC) 首脳会議でロシア・ウラジオストクを訪れる首相が 8 日、クリントン米国務長官と会談し、表明する方向だ。

自然災害による漂流物を処理する国際的な義務は被災国にはない。 ただ、震災で救援活動をした米軍による「トモダチ作戦」など各国から支援を受けたことを踏まえ、処理費用に対する補償ではなく「グッドウィル(善意)」として協力することにした。

環境省の推計では漂流がれきは最大で約 150 万トン。 10 月から漂着が本格化し、来年 2 月に約 4 万トンが北米海岸の 10 キロ圏内に達する恐れがある。 すでに青森・三沢漁港の浮桟橋がオレゴン州に流れ着くなど米国で問題化しており、米政府は西海岸とハワイの計 5 州に計 25 万ドルを出すことを決めるなど対応に追われる。 (asahi = 9-7-12)

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韓国の世界博で東北被災 3 県のパレード 復興をアピール

韓国南部の麗水(ヨス)市で開催中の国際博覧会で 2 日、東日本大震災の被災地、東北 3 県の伝統芸能団体などによるパレードがあった。 「ジャパンデー」の催しで、震災後の支援に感謝し、復興ぶりを伝えようと日本館などが企画した。 岩手県の盛岡さんさ踊り、宮城県栗原市の鶯沢八ツ鹿踊り、福島県いわき市のじゃんがら念仏踊り、同県郡山市のうねめ太鼓の計 4 グループ、70 人余りが参加した。

福島県郡山市の橋本由紀さん (22) は会場で「福島から来ました」とあいさつすると、韓国の多くの人から日本語で「がんばれ」と声をかけられた。 「震災後しばらくは食料や水の確保に追われ、まともな練習もできなかったことを考えると、韓国での演奏なんて夢のようです。 温かい声援も力になりました。」 宮城県栗原市の佐藤宏樹さん (40) は「元気な姿を発信することで、韓国の人々がまた東北を訪れてくれるようになれば」と話した。 (asahi = 6-2-12)

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震災の教訓共有へセミナー 日中韓の環境相、開催で合意

日本、中国、韓国 3 カ国の環境相は 4 日、北京市で会談し、がれき処理など東日本大震災の教訓を 3 カ国が共有するための災害対策セミナーを、年内に日本で開催することを盛り込んだ共同宣言を採択した。

細野豪志環境相は会談で、被災地の除染、再生可能エネルギーの導入など震災後の取り組みを紹介。 こうした経験をふまえ、新たな災害に備えるためのセミナーを開くことを提案。 中韓両国も了承した。 岩手、宮城、福島など被災地での開催を検討するという。 細野環境相は「今回の地震・津波、原発事故の教訓は、世界で共有すべきだ」と語った。 共同宣言ではそのほか、黄砂や地球温暖化問題での協力についても合意した。 (北京 = 岩井建樹、asahi = 5-4-12)

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野田首相、震災犠牲の米国人遺族と面会 支援の感謝伝え

訪米中の野田佳彦首相は 29 日、東日本大震災によって宮城県石巻市で亡くなった米国人の英語指導助手テイラー・アンダーソンさん(当時 24)の父・アンディさん、母ジーンさんらと駐米大使公邸で面会した。 テイラーさんは、日本政府が英語指導助手を招く JET プログラムで同市に派遣され、七つの学校で英語を教えていた。 生徒を避難させるなどしていて、津波に巻き込まれた。 両親はテイラーさんの名前を冠した基金を設立。 石巻市の小中学校に本を贈るなどの活動をしてきた。

野田首相は「日米間の懸け橋として多くの人々を愛し、愛されてきたテイラーさんが亡くなられたことに深く哀悼の意を表します。 テイラーさんの日本への温かい愛に改めて感謝します。」と述べた。 アンディさんらは「娘は石巻を、そして日本を愛していた。 それは私たちも同じです。 今後も日本の復興を支援していきたい。」と語った。

野田首相はこの後、震災で支援した米国の関係者らを集めた「感謝の集い」であいさつし、米軍を筆頭に、米政府関係者や機関、米市民を挙げ、「皆様に何よりお伝えしたいのは支援に対する日本の感謝の心です」などと語った。 (ワシントン = 伊藤宏、asahi = 4-30-12)

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シェールガス採掘、地震誘発? 米中部、M3 以上 6 倍

米中部で起きるマグニチュード (M) 3 以上の地震が、10 年前に比べ 6 倍以上に急増していることが米地質調査所 (USGS) の調べでわかった。 もともと地震があまり起きない地域で、研究チームは、日本でも輸入に向けた動きがあるシェールガスなどの採掘活動などに伴う「人為的な地震」が関係しているとみている。

米地震学会での発表によると、米大陸中部で M3 以上の地震は、1970 年から 00 年までは平均年 21 回。 それが 01 - 08 年には平均 29 回、09 年は 50 回、10 年は 87 回、昨年は 134 回と 6 倍以上になっていた。 昨年はコロラド州とオクラホマ州で M5 を超える観測史上最大級を記録した。

研究チームは「自然原因とは考えにくい」とし、この地域で増えているシェールガスや石油の採掘との関連を指摘。 採掘で出てくる大量の廃水を深井戸から高圧で地下に戻しているため、これが地震を誘発している可能性を挙げた。 メンフィス大地震研究情報センターのホールトン研究員によると、地下に戻された水が、断層の隙間に入り込んで滑りやすくなり、地震が起きやすくなったと考えられるという。 (asahi = 4-26-12)

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漂流がれき、北米海域に 4 万トン 来年到達、環境省予測

環境省は 6 日、東日本大震災の津波にのまれ、太平洋を漂流している船や損壊した家屋などのがれきが今年 2 月ごろから北米沿岸から約 10 キロ以内の海域に到達し始め、来年 2 月にその量は約 4 万トンに上るとの予測を発表した。 スーパーコンピューターを使い、偏西風や海流の影響を考慮して解析した結果だ。

同省によると、津波で流れ出た漂流物は約 150 万トン。 京都大や海洋研究開発機構、気象庁気象研究所などのスパコンによる予測では、がれきはハワイの北を通ってアラスカの一部沿岸からカナダ、米カリフォルニア州にかけての沿岸海域に到達する。

船など偏西風を受けやすいがれきの移動は速く、一部は今年 2 月ごろに到達したと推測。 実際、カナダ沖で 3 月に漁船が見つかっている。 家屋の木材などは今年 10 月以降、次々に到達すると予測される。 北米沿岸海域に到達するがれきは、今年 12 月には約 3 万 1 千トン、来年 2 月には約 4 万 1 千トンに上るという。

がれきのほとんどは大震災発生当日の昨年 3 月 11 日に流出。 その後、海水に洗われてきたため、「放射性物質が付着している恐れは極めて低い」と同省はみている。 (森治文、asahi =4-8-12)

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津波漂流の漁船沈める 米沿岸警備隊「他の船舶に危険」

東日本大震災の津波で流され、太平洋の東側で確認された日本の漁船「第 11 漁運丸」について、米国の沿岸警備隊が 5 日午後(日本時間 6 日早朝)、沈没させるため、巡視船から砲撃した。 無人での漂流が続けば、他の船舶の航行に危険が生じると判断したという。 砲撃は 2 回行われ、漁運丸は現地時間の 5 日午後 6 時 15 分に沈没が確認された。

震災発生時、漁運丸は青森県八戸港に係留されていた。 1 年後の今年 3 月になってカナダ沖で確認され、米アラスカ州南部から南西に約 170 カイリ(約 315 キロ)の場所に移動していた。 沿岸警備隊によると、船体は数十メートルの長さがあり、無灯火のため夜間に他の船が衝突するリスクが高くなる。 警備隊は、日本の所有者に回収予定がないことを確認し、沈没させることを決めた。 カナダの漁船も回収を検討したが、困難だとして断念したという。 (asahi = 4-6-12)

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