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我が町 - 新宿ストリート (4)

幸いにして、現在、筆者は定期的に東京の街に歴史を求めて散策できるのですが、やはり、日本橋は、江戸・東京の原点です。 銀座に押されて少々元気がありませんが、やっぱり「いつの間にか日本橋に戻っている ・・・」、そういう雰囲気の町になって欲しいと願っています。

チョッとこじ付けと言われるかもしれませんが、新宿区の淀橋の下を流れる神田川は、もともと飯田橋駅と水道橋駅の間で直角に曲がり、日本橋の下を流れ、大川(隅田川)に注いでいました。 江戸時代初期、駿河台の大掘削工事(お茶の水駅周辺)で、柳橋方面に流れを変えたのです。

【追記】 4,000 年前の新宿の住民が見つかったとのニュースです。 住みやすい新宿だったのでしょうか?


架橋 100 年の日本橋、祭りに 10 万人 被災地域の団体も

1911 年(明治 44 年) 4 月に現在の日本橋が完成してからことしで 100 年。 4 月に計画されていたものの東日本大震災の発生直後だったため延期されていた「架橋 100 年祭」が計画から半年遅れの 30 日、日本橋と京橋一帯で開かれた。 中央通りで開かれたパレードには被災した東北の岩手・宮城・福島の 3 県から伝統芸能の 8 団体約 350 人が参加。 支援への感謝をしながら踊りを披露し、沿道に集まった約 10 万人の観衆から大きな声援を受けた。

現在の日本橋は 1603 年(慶長 8 年)に初めて架橋されてから 20 代目にあたる。 江戸時代は江戸と各地を結ぶ五つの街道の基点として一帯は橋の下を流れる日本橋川とあわせ物流の拠点としても大きく発展。 現在の橋は獅子や麒麟を彫刻家の渡辺長男がつくり、工費 50 万円(当時)をかけて完成した。 関東大震災や東京大空襲などにも耐え、1999 年には重要文化財に指定された。 現役の国道にかかる橋として重要文化財に指定されているのは日本橋だけだ。

この日は、江戸時代に日本橋に荷物を送って主に商業が発展した「小江戸」の埼玉県川越市、栃木県栃木市、千葉県香取市の 3 市の代表者が、架橋 100 年にあわせつくった船着き場に和船で到着し、祭りを盛り上げた。 正午過ぎ、橋の上で関係者がテープカットしたあと、地元の室町 1 丁目に住む現在の日本橋と同い年の岸上米蔵さん (100) が息子・孫の 3 世代一家で橋の「渡り初め」をした。 3 世代の渡り初めは縁起がよいといわれているという。

続いて、中央通りを京橋に向かってパレードが出発した。 パレードには震災で被災した 3 県からの芸能団体の姿があった。 仙台の「仙台すずめ踊り」は約 200 人が参加。 連盟の代表者が各地からの支援を感謝し「震災から『元気を発信、共に笑え』をテーマに踊ってきました。 感謝の思いを込め、日本橋から東北復興ののろしをあげたい。」と口上を述べた。

岩手県大船渡市三陸町の「浦浜念仏剣舞(うらはまねんぶつけんばい)保存会」は毎年お盆の時期に、地域で亡くなった人を供養する鎮魂の踊りで、地区内の家々を訪ねて位牌(いはい)の前で踊る。 道具類は失われたが支援を受けて 8 月のお盆に間に合わせた。 例年なら約 20 軒を回るが今年の 8 月は約 100 軒を回ることになった。 多くが津波の犠牲者だったという。

市内でも被害が少なかった「川原鎧剣舞(かわらよろいけんばい)」はメンバーや道具に被害がなかった。 代表の村上章さん (70) は「東京で踊れるなんていうことはもう二度とないかもしれない。 日本橋保存のお祝いのような大きなお祭りに出させていただいてありがたく思っています。 復興に向けて少しずつでも前進していけたら。」と話した。

同県北部の山田町からは群馬県から 100 年前に伝わったという「山田町八木節」の村木司さん (41) たち約 40 人が参加した。 衣装や道具をしまった小屋が海沿いにあり、津波で破壊された。 流されたちょうちんや浴衣は砂まみれになって見つかり、洗えるものは洗って使った。 ちょうちんにはまだ砂がついた状態という。 「もう(活動を)やめようかとも思いましたが、寄付などをもらい立て直しました。 がんばって踊ります。」と話していた。

祭りのフィナーレは日本橋の上に思いおもいの和服を着た 300 人が集合。 小雨がぱらつくなか、記念写真に納まった。 橋の周辺では「諸国往来市」と題した各地の特産品の直売コーナーが設けられた。 九州新幹線の開業も東日本大震災の影響で大きく取り上げられなかったことから沿線の青森から鹿児島までの自治体関係者が、ゆるキャラなども動員してアピールした。

直売コーナーの中には市街地が壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町で「浜娘」を製造している赤武酒造からの出品も。 古舘秀峰社長によると酒蔵は完全に失われ、この日は盛岡市内の工場で夏からつくっているリンゴやみかん、ヨーグルト風味のリキュールを販売していた。

11 月からの「浜娘」新酒の仕込みもやはり盛岡市で工場を借りて始める予定で、純米酒生搾りを、震災前の人口 15,994 人と同じ数の本数を目標に製造したいという。 多くの人が足を止めてお酒を手に取っていた。(アサヒ・コム編集部)

- asahi.com 平成 23 年 10 月 31 日 -


新宿にヨーロッパの街並みを 公道にオープンカフェ

【今村優莉】 公道上では全国で初となる常設のオープンカフェが 15 日、東京・新宿で始まる。 違法駐車などで失われたにぎわいを取り戻そうと、地元の商店街と新宿区が 7 年間にわたる社会実験を経て、実現にこぎつけた。 イメージしたのはヨーロッパの街並みだ。

場所は、歓楽街が広がる歌舞伎町エリアと、百貨店が並ぶ新宿駅東口エリアとを結ぶ「モア 4 番街(新宿区新宿 3 丁目)」。 長さ約 100 メートル、幅 22 メートルの区道に、飲食店など約 30 店が並ぶ。 幅広の歩道のケヤキ並木が石畳の車道を挟むオシャレな通り。 新宿駅前商店街振興組合によると、かつては昼夜を問わず人通りが絶えなかった。 だが、約 20 年前から違法駐車が急増。 歩道にも放置自転車や路上生活者が増えた。 買い物客らが避け、活気は消えてしまった。

- 朝日新聞 平成 24 年 11 月 7 日 -


新宿に縄文時代の人骨 11 体 貝塚以外では関東初

【後藤遼太】 東京都新宿区の住宅街で縄文時代の複数の人骨と土器、竪穴住居の跡が見つかった。 関東平野で、貝塚以外から縄文時代の人骨が見つかるのは初めてという。

新宿区が 30 日に発表した。 発掘現場は防衛省近くの「市谷加賀町 2 丁目遺跡」。 住宅工事に伴って昨年 10 月に調査を始め、11 月に人の足の骨を発見。 その後、人骨計 11 体と縄文土器約 30 点、竪穴住居跡 25 点も見つかった。 人骨のうち 8 体は体全体を伸ばす伸展葬、1 体が手足を折り曲げる屈葬だったという。 放射性炭素年代測定や埋葬の仕方から、約 4 千年前の縄文時代中〜後期のものとみられる。

- 朝日新聞 平成 25 年 1 月 31 日 -


新大久保に「韓国留学資料館」設置推進へ

【ソウル】 韓国語教育機関代表者協議会関係者は 15 日、韓流ブームの中心地として知られる東京・新大久保に「韓国留学資料館」の設置を進めていると明らかにした。

同関係者は「多くの外国人留学生を誘致するための取り組みが必要」と強調。 資料館設置・運用にかかる費用や効果などについて検討していると伝えた。 資料館は韓国留学関連資料を置くとともに、日本の大学や専門学校、高校などに韓国の大学情報などを提供する方針だ。

- 韓国・聯合ニュース 平成 25 年 2 月 15 日 -


白馬の馬車、新宿をいく イベントで登場

新宿区新宿 3 丁目の商店街「モア 4 番街」に 5 日、白馬がひく馬車がお目見えした。 6 日にリニューアルオープンする「バーニーズニューヨーク新宿店」の記念イベントに呼ばれた。 6 日は午後 0 時半から夕方まで、利用客を優先した上で一般人も無料で乗ることが出来るという。

ホースコーディネーターの新藤郷子さんによると、馬車をひくのは、馬車馬として専門に調教された「ダリア」。 ヨーロッパ産の牝馬(ひんば)で、日本に数頭しかいない種類だという。 人間で言うと 80 歳くらいのおばあちゃん馬。 ダリアは 5 日、多くの人が見守る中、慣れない石畳の路面もものともせず堂々と歩いた。

- 朝日新聞 平成 25 年 3 月 6 日 -


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