旧日本軍による遺棄兵器被害 (3)

「人民網」が掲載した下記の記事、読めば読むほど、旧日本軍が犯した罪の深さを痛感します。 そして、「東京裁判」で取り上げられなかったことも、又、大きな罪であることを再確認しておくべきでしょう。

ドイツの生物学者 旧日本軍の細菌戦を調査 浙江省

「旧日本軍による細菌戦で被害を受けた中国の人々の、60 年余りにわたる甚大な苦しみには驚愕と震撼を覚える。 しかし、国際社会でこれらの旧日本軍の犯罪行為を知る人は非常に少ない。 このようなことを 2 度と起こさないために、世界中の人々があの非人間的な細菌戦を知る必要がある。」

ドイツのハンブルグ大学の細胞生物学者であり、国連監視検証査察委員会 (UNMOVIC) 生物兵器査察員でもあるヤン・ファン・アケン氏は、浙江省義烏市でこのように語った。 新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。  アケン氏は 8 日から 11 日まで、補佐のツィクラー氏を伴い、同省衢州、金華、義烏の各市を訪問。 旧日本軍細菌戦中国被害者訴訟原告団の王選団長の案内を受け、60 年余り前の旧日本軍による浙江省での細菌戦の重大な被害について詳しい聞き取り調査を行った。

アケン氏によると、今回の調査結果は、2006 年 11 月にジュネーブで開かれる国連「生物兵器禁止条約 (BWC)」第 6 次審議会議に提出される。 また、旧日本軍が中国で行った細菌戦の実態が、世界のメディアを通じて明らかにされる。 細菌戦の中を生き延びた衢州市の呉世根さんは、旧日本軍が播いたペスト菌により、弟と妹を失った。 「(当時) 9 歳になる二番目の弟は、苦痛のあまりベッドの板を掴み、血を流していた」と、苦しみながら死んでいった弟の様子を涙ながらに語った。

衢州市衛生防疫ステーションの元所長、邱明軒さん(75 歳)は、長く同市の細菌戦調査に携わっている。 邱さんは旧日本軍が 1940 年と 1942 年の 2 回、同市で展開した大規模な細菌戦の実態をアケン氏に説明した。 邱さんの調査によると、当時、同市や周辺の農村でペスト菌に感染して死亡した人は、5 万人を超える。

金華市湯渓鎮曹界村では、かつて炭疽菌に感染した被害者の戴兆開さん(70 歳)が、ズボンの裾をまくり上げて見せた。 戴さんの両足には松の木の皮のようにただれた傷口が残っている。 アケン氏はその痛々しさに眉を曇らせながら、炭疽菌への感染の経緯や、現在使っている薬について、詳細に聞き取った。

細菌戦で 403 人の命が奪われた義烏市崇山村では、アケン氏は、日本軍が 1942 年秋に撒き散らしたペスト菌と、生体解剖という残虐行為を重点的に調査した。 訴訟原告団の王培根事務局長は、「日本軍は、ペスト菌に感染した村人を捕まえて村にある林山寺に連れて行き、仏教の聖地で彼らの内臓を取り出し、細菌弾を作るのに用いた。 この村の多くの老人は、被害者が死の直前に上げた凄惨な叫び声を一生忘れることができないと言っている。」と語った。

4 日間の聞き取り調査に、アケン氏とジグレ氏は強く震撼させられたという。 アケン氏は同省での調査を終えた後、「今の心境はとても複雑だ。 旧日本軍の細菌戦が中国の人々を 60 年以上も苦しめてきたことに非常に心が痛む、一方で、王選団長らの人々の歴史の証拠を取り上げる行動には、心が慰められる。」と述べている。

アケン氏はまた、「今回の調査で、私は旧日本軍の細菌戦はまさに事実であり、人々の推測ではないことを確信した」と表明。 更に多くの人々にこの歴史的事実を知らせ、このような悲劇が世界で繰り返されないようにしなければならないと語った。

王選団長は、「ドイツの生物学者による調査は、旧日本軍の細菌戦の証拠が確たるものであることを再度説明した。 また、訴訟を最後までやり抜くという原告団の決意がさらに固まった。」と述べた。 原告団は、1997 年 8 月から現在まで、日本政府に謝罪と損害賠償を強く求め続けている。

中国国内や海外の多くの研究により、1931 年から 1945 年までの間、旧日本軍の731部隊などの細菌戦部隊が数十回にわたる細菌戦を展開し、中国の人々に甚大な被害を与えたことが明らかにされている。 (編集 YS)

- 中国、人民網 2006 年 6 月 12 日 -


中国で新たな遺棄化学兵器 旧日本軍か、近く調査団派遣

安倍官房長官は 14 日の記者会見で、中国東北部の黒竜江省佳木斯市の松花江水域で旧日本軍によるとみられる遺棄化学兵器が見つかったことを明らかにした。 中国政府が 8 日、日本に伝えたもので、調査団の派遣も求めている。

安倍長官は「化学兵器禁止条約に基づき、我が国として適切な対応を行っていく。 まず現地調査を行い、旧日本軍のものか、確認する必要がある。」と述べ、近く調査団を送る考えを示した。 関係者によると、中国側は 100 発前後の砲弾を確認したという。 住民の被害は出ていない模様だ。

- 朝日新聞 2006 年 6 月 14 日 -


遺棄化学兵器、200 発を確認 政府の中国現地調査

旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器を調べている日中両政府の調査団は 10 日までに、中国黒竜江省寧安市で約 700 発の砲弾を回収し、うち約 200 発が遺棄された化学兵器であることを確認した。 日本政府関係者が明らかにした。

関係者によると、5 日から寧安市で本格的な発掘・回収作業を開始。 9 日現在で、当初見込みの 200 発を大幅に上回る 695 発を回収した。 砲弾の種類を鑑定したところ、うち 199 発が旧日本軍の遺棄化学兵器で、11 発も旧日本軍の遺棄化学兵器の可能性があるという。 遺棄化学兵器は日本政府の責任で処理するが、残りの砲弾は通常弾とみられ、中国側が引き取る予定だ。

- 朝日新聞 2006 年 7 月 11 日 -


新たに発見された 600 余件の旧日本軍遺棄化学兵器処理作業がスタート

中日の化学兵器専門家は 27 日、旧日本軍遺棄化学兵器ハルビン委託管理倉庫において、新たに発見された 600 余件の旧日本軍遺棄化学兵器の緊急処理作業をスタートさせた。 6 月 27 日から 7 月 2 日にかけ、黒竜江省綏化市で旧日本軍が遺棄したと見られる 600 余件の化学兵器が発見された。 中国政府の要求により、日本政府はこれらの化学兵器に対する識別、登録と密封の作業に当たる専門家グループを派遣、25 日専門家グループがハルビンに到着した。

中国側の関連スタッフによると、今回の緊急処理作業は 12 日間かかる予定であり、識別や密封済みの化学兵器はこれまで通り旧日本軍遺棄化学兵器ハルビン委託管理倉庫に保存され、今後その他の旧日本軍遺棄化学兵器と一緒に廃棄されることになっている。 また、中日両国の専門家は 7 月 10 日に、黒竜江省寧安市で発見された旧日本軍遺棄化学兵器に対する処理作業を終え、210 件の化学兵器と不明爆弾がすでに密封保存され、最終的な廃棄作業を待つことになっている。

- チャイナネット 2006 年 7 月 27 日 -


旧日本軍の中国への遺棄兵器、化学砲弾は 697 発と確認

旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器を調べていた内閣府の遺棄化学兵器処理担当室は 7 日、7 月 25 日から中国で実施していた調査で、旧日本軍の化学砲弾 697 発を確認したと発表した。 同室によると、7 月に黒竜江省綏化市で中国側が発見した 699 発を日中両国の専門家が鑑定し、2 発を除いて旧日本軍のものと確認した。

調査は日本から政府関係者や専門家ら 20 人が参加。 旧日本軍のものと確認した砲弾は密封して同省ハルビン市内の一時保管庫に保管し、残る 2 発は中国側に引き渡した。

- 朝日新聞 2006 年 8 月 8 日 -


中国代表「日本の遺棄化学兵器、実際の廃棄はまだ」

化学兵器禁止機関 (OPCW) の第 11 回締約国会議が 5 日、オランダのハーグで開催された。 中国政府代表の薛捍勤大使は一般弁論で次のように指摘した。

化学兵器のできるだけ早い、徹底的な廃棄は、条約の核心をなす内容であり、根本的な目標だ。 化学兵器の廃棄は一定の進展を得たものの、一部の化学兵器保有国の廃棄作業は、依然として条約の要求よりも進み具合が遅れている。 中国は、条約が定める期限内にすべての化学兵器を破棄することが、条約の権威と信頼に関係すると考えている。

日本が中国に遺棄した化学兵器は、いまなお中国人民の生命と生態環境を深刻に脅かしている。 中日両国の協力の下で、日本の遺棄化学兵器の処理作業は前向きの進展を得たが、実質的な廃棄はいまだに始まっていない。 中国は日本に対し、作業の力を強め、投入量を増やし、すべての遺棄化学兵器を、できるだけ早く、徹底的に廃棄するよう促す。 中国はこれまで同様に、必要な協力を提供する。 (編集 NA)

- 中国、人民網 2006 年 12 月 7 日 -


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