旧日本軍による遺棄兵器被害 (4)

残念ながら、再び中国、東北部で有毒化学物質が見つかったようです。 かようなものが、旧日本軍により何処に埋められたのか、おそらく正確な資料すら存在しないのは、真に歯痒いばかりです。

第 2 次大戦時の化学物質か 中国・黒竜江で 3 人死亡

【北京 = 峯村健司】 新華社通信によると、中国黒竜江省チチハル市で 5 日、有毒化学物質のホスゲンが漏れ、3 人が死亡、15 人が負傷した。 農民が地中から掘り出した鉄製容器を廃品回収の際に分解したところ漏出したという。 ホスゲンは化学兵器に使われたことがあり、地元当局は第 2 次大戦で遺棄された可能性があるとみて調べている。

地元紙チチハル日報によると容器は二つあり、高さは 1.2 メートルと 1.5 メートルで、深さ 1.5 メートルの地中から出てきた。 チチハルでは 03 年 8 月、旧日本軍が遺棄したとみられるドラム缶から毒ガスが漏れ、1 人が死亡する事故があった。

- 中国、人民網 2008 年 6 月 7 日 -


細菌生体実験被験者 3 千人の名簿が確認される

旧日本軍細菌戦研究の権威・金成民氏がこのほど、最新の関連史料が見つかったことを明らかにした。 この史料は、中国に侵略した日本軍「731」部隊が、1939 年から 1945 年の間に、ハルビン平房区にある同部隊の本部で、3 千人以上の中国人を対象に細菌の生体実験を行った際の実験記録。 これによって、生体実験によって命を落とした 3 千人の情報が確認された。 「新晩報」が伝えた。

731 部隊は、敗戦で撤退する時に、自分達の犯した罪の証拠隠滅のため、平房区の本部基地を徹底的に破壊した。 中国に侵略した日本軍の最高機密部隊である 731 部隊は、中国で生体を利用して細菌実験を行った。 この犯罪に関する多くの証拠資料はすでに廃棄された。

「731 部隊罪証陳列館」の館長を生前務めた故・韓暁氏などの研究者が数十年にわたり、某大な量の日本語のオリジナル資料やその他の関係資料を調査し、大量の完全なままの資料や断片資料を続々と発見した。 この中には、日本語で書かれた 731 部隊による生体実験の資料も含まれていた。

専門家は、長年にわたる研究の結果、細菌生体実験の被害者 3 千人の名簿が事実に相違ないことを確認した。 これは、731 部隊が犯した非道極まりない犯罪を暴く、最も直接的な証拠となった。

専門家によると、数多くの資料や証言から、731 部隊による生体実験の対象となったのは、中国人、モンゴル人、旧ソ連人、朝鮮人、オランダ人、英国人だったことが判明したという。 今回確認された 3 千人は、731 部隊が平房細菌基地で行った細菌生体実験の被験者に限られる。 資料には、姓名、別名、原籍、出生地のほか、年齢、職業、住所、教育レベルなど詳細内容も記載されており、一部の被験者については、写真も残されていた。

被験者 3 千人の名簿は、「731 部隊罪証陳列館」で一般公開される予定という。

- 中国、人民網 2010 年 5 月 14 日 -


突然の毒ガス … 少女の夢奪う 中国遺棄事故、24 日判決

少女は突然、戦争の被害者となった。 旧日本軍が遺棄した毒ガスで 2003 年に中国・チチハル市で 1 人が死亡、43 人が負傷した事故。 当時 10 歳の馮佳縁さん (17) は汚染された土で遊び、被害にあった。 負傷者全員と遺族計 48 人が日本政府に損害賠償を求めた訴訟の判決は 24 日、東京地裁で言い渡される。

5 月初旬、東京・吉祥寺の公園に、被害者救済を求めて署名を募る馮さんの姿があった。 外見では遺棄兵器の被害者とは分からない。 だが、後遺症で体力が低下し、長く動いてはいられない。 事故があった 03 年 8 月、馮さんは小学 3 年生。 整地のために運ばれた土で遊び、帰宅した後、足に激しい痛みを覚えた。 皮膚がただれていた。 目は赤く腫れて開けられず、のどに激しい刺激を感じた。

学年で一番の俊足だった。 スピードスケートの選手だった父の影響で、自分は陸上選手になる夢があった。 しかし、事故後は、すぐ息が切れて胸が苦しくなる。 成績も良かったのに、記憶力や集中力が途切れがちになり、普通高校への進学をあきらめた。 いずれも毒ガス被害者によくみられる健康被害だった。 そのうえ「あの子に近づいては駄目」といわれのない差別を受け、住まいも替えた。

なぜ、こんな目に遭わなければならないのか - -。 中国と日本の間で戦争があったことは知っていたが、遺棄化学兵器は全く知らず、チチハルに埋まっていたことは知るよしもなかった。 「日本の化学兵器のせいだと知った時、激しい怒りと恨みを感じた。」 同時に戦争の悲惨さ、恐ろしさも身をもって感じた。

日本政府は 09 年度までに約 4 万 7 千発の遺棄化学兵器を回収したが、大部分が埋まっているとされる吉林省のハルバ嶺(れい)だけでもまだ 30 万 - 40 万発あると推計される。 訴訟を通じ、馮さんは日本に自分を支援してくれる人たちがいると知った。 「二度と同じような被害者が出て欲しくない。」 そんな思いで判決の日を迎えようとしている。(向井宏樹)

- 朝日新聞 2010 年 5 月 21 日 -

☆ ★ ☆

原告側の賠償請求を棄却 中国・チチハル毒ガス事故訴訟

中国・チチハル市で 2003 年、旧日本軍が捨てたり埋めたりした毒ガス兵器により死傷した被害者と遺族計 48 人が、日本政府に約 14 億 3,400 万円の損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁は 24 日、原告側の請求を棄却する判決を言い渡した。 山田俊雄裁判長は、兵器の遺棄は違法だったと認めたが、「日本政府の法的責任は認めがたい」と述べた。 原告側は控訴する方針。

判決は、旧日本軍が毒ガス兵器を遺棄した行為について「一般人の生命・身体に重大な危険を生じさせた」と違法性を認定し、「被害は甚大で、精神的、肉体的苦痛は極めて大きい」と被害者らに理解を示した。 さらに、チチハル市が旧日本軍の活動拠点だったことなどから、周辺に毒ガス兵器が遺棄され、住民に危険が及ぶことを日本政府は予見できたと指摘した。

しかし、毒ガスはチチハル市以外にも広範囲にわたり川や古井戸に投棄されたり地中に埋められたりしていたと指摘。 「今回の事故前にすべて調査するのは極めて困難で、廃棄する義務があったとは認められない」と結論付けた。 同様の事故をめぐっては、96 年に 1 次訴訟、97 年に 2 次訴訟が同地裁に起こされたが、いずれも二審・東京高裁の原告敗訴判決が確定している。

- 朝日新聞 2010 年 5 月 24 日 -


中国の 731 部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置

日中戦争中に人体実験をしていたとされる旧日本軍の 731 部隊があった中国黒竜江省ハルビン郊外の「侵華日軍第 731 部隊遺跡」に 9 日、日本人の募金で石碑「謝罪と不戦平和の誓い」が建てられた。 謝罪の意を明確にした日本人による記念碑は中国でも珍しいという。

除幕式には日本人有志のほか、中国の研究者や犠牲者の遺族ら約 80 人が参列。 碑文には「731 部隊は世界史上類をみない国家的な罪を犯しました。 加害国の市民として、惨殺された多くの罪のない中国人民とその遺族に心から謝罪します」などと書かれている。 731 部隊の正式名は「関東軍防疫給水部」で 1936 年に開設。 ペストやコレラによる細菌兵器を開発、中国人やロシア人捕虜を人体実験に使い、多くの犠牲者が出たとされる。

- 朝日新聞 2011 年 7 月 9 日 -


旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述

旧日本陸軍が 1940 - 42 年、中国で細菌兵器を使用していたことを示す陸軍軍医学校防疫研究室の極秘報告書が見つかった。 細菌兵器の使用は 93 年に見つかった陸軍参謀の業務日誌にも記述があるが、細菌戦に直接携わった研究室の公的文書でも裏付けられた。

旧日本軍の細菌戦については中国人遺族らによる損害賠償訴訟で東京地裁、高裁とも事実と認定したが、日本政府は「証拠がない」との見解を示している。 この文書は「陸軍軍医学校防疫研究報告」のうち第 1 部の「PX ノ効果略算法」。 市民団体「731・細菌戦部隊の実態を明らかにする会(事務局・東京)」のメンバーが、国立国会図書館関西館(京都)で見つけた。

- 朝日新聞 2011 年 10 月 15 日 -


731 部隊旧跡の保護条例施行 中国・ハルビン

中国黒竜江省ハルビン郊外にある旧日本軍の 731 部隊に関連する旧跡を保護する条例が 1 日、施行された。 旧跡の原形を損なう改装などを禁じたり、違反者に罰金を科したりする内容だ。 731 部隊は、日中戦争中に細菌兵器を開発、中国人やロシア人捕虜らを人体実験に使い、多くの犠牲者が出たとされる。

条例によると、旧跡保護の目的は「愛国主義教育の重要な作用を発揮させる」などとしている。 旧跡の範囲は、部隊本部、細菌弾薬莢製造工場、野外実験場遺構、旧日本領事館など。 当局の許可なく旧跡に広告物を掲げたり、敷地内で土を掘り起こしたりするなど旧跡の元来の雰囲気が損なわれる行為も禁じている。 落書きしたり汚したりした場合は 5 千元(約 6 万円)以下、改築したり取り壊したりした場合は 50 万元(約 600 万円)以下の罰金を科す。(瀋陽 = 西村大輔)

- 朝日新聞 2011 年 11 月 1 日 -


inserted by FC2 system