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京に生きる・技と人  手描友禅職人 上仲正茂さん 追求する理想の濃淡

友禅染。 着物の絵画的な絵柄を可能にした日本を代表する模様染めの技術だ。 その発祥は江戸時代・元禄期までさかのぼり、京都で人気の扇絵師、宮崎友禅斎の画風が着物の模様として取り入れられていったことから始まったとされる。

のりを使うなど染色のためのさまざまな技術が、友禅斎の優美な画風表現のために集約される。 以後、多彩、細やか、絵画的な模様を着物に描けるようになり、当時の町人文化の繁栄もあって人気を集めた。 完成に至らせた創始者として「友禅」の名が付いたといい、その技法は「手描(てがき)友禅」の基礎となった。

そして後世、京、加賀、東京とで、いわゆる「日本三大友禅」と呼ばれるようになる。 京友禅は、有職(ゆうそく)文様や四季の草花を染めることが多く、抽象的で大きな図柄のデザインを用い、刺しゅうや金箔(きんぱく)などの装飾を併用して色遣いも華やか、といった特徴があるという。

京都の桜の名所に数えられる原谷苑(はらだにえん、京都市北区)。 その周囲に建ち並ぶ住宅の一角を訪ねた。 「染(そめ)工房 正茂」と書かれた木板の看板が、玄関へとつながる階段の脇にそっと立てかけられている。

自宅兼工房のあるじは手描友禅の職人で府の京もの認定工芸士、上仲正茂さん (44)。 高校を卒業後、人間国宝の羽田登喜男さん(故人)に師事し、13 年にわたり技を学んで 2004 年に独立した。 京都の友禅は伝統的に各工程の専門職人が分業して制作するが、上仲さんは染めの全工程を習得してこなす。

「羽田先生の工房が一貫作業をしていたこともあって。」 上仲さんによると、羽田さんは石川県出身でもともと加賀友禅を手がけていた。 勉強のため京都に来て居着いたが、加賀友禅は分業しないため、京都でもそのやり方が踏襲されたという。

着物での工程はまず、A4 判くらいの小さな紙に縮小した着物の形と模様を描き、できたら原寸大に拡大する。 それを描き上げたらガラス張りの机の上に置き、その上に着物の形に仮縫いした生地を載せる。 机の下から光を当てると模様が透けて見えるので、なぞって生地に描き写してゆく。 この時に使う液は露草の搾り汁から作られ、「青花」と呼ばれる。 水にぬらせば消えるそうだ。

次は「糸目のりを置く。」 生地に写した模様の線の上に、その名の通り糸のような細さでのりを置いてゆく。 「こののりが、模様の輪郭線となり、隣り合う色がにじんで混ざり合わないよう堤防の役目をする」と上仲さん。

のりは、柿渋を塗った和紙を円すい形に丸めた道具「筒」に入れて絞り出す。 その先端は金属製で、シャープペンの先のような形。 「先金(さきがね)」と呼ばれ、先端をすりガラスで擦り、好きな細さの穴を開けてはめる。 穴は針も通らないほどの細さだ。 筒は親指と人さし指で握り、のりを絞り出してゆく。 持たせてもらうと、手になじむ軟らかさ。 考えられた昔ながらの道具が、のりを置く際の繊細な手指の動きを可能にしているのだろう。

のりの軟らかさは自分で調整する。 「堤防の機能を果たす盛り上がりを作れるくらいの硬さが必要。 染料は繊維の奥まで浸透するので、生地の裏側から色がにじみ出てしまうことを防ぐため、しっかり生地の中まで入り込む軟らかさにもしなければならない。 その調整は経験が要る。」 使う生地の密度によっても加減が変わる。

極端にいうと、色がにじんでしまえば、本来の友禅ではなくなる。 完成品には模様を縁取るように白い細線が見える。 それがのりを置いた跡。 のりの効果で、にじまないきれいな色に染められる。 上仲さんは「糸目は要の作業」と言う。

そして、糸目を置いた模様の中に色を挿す。 染料が早く乾くよう生地の下で夏でも電熱器をつける。 挿した色の上には、地染めの染料が入らないよう伏せのりを置き、はけを使った「引染(ひきぞめ)」で生地全体の地色を染めていく。 その後は、生地を蒸して染料を発色、定着させ、のりや余分な染料を洗い流す。

必要な刺しゅうや金、銀の箔(はく)を施し、縫って着物に仕立てられる。 上仲さんは「後から染める地色を想定し、挿すこの色はそれに映えるかどうか、出来上がりの雰囲気をイメージして」色挿しをし、引染も「何回で目指す色と濃さにもっていくか」を意識する。

無地の白い生地の引染を見せてもらった。 はけの毛には使う前に洗った時の水分が残っている。 その水分によって染め始めが薄くならないように、最後まで同じ濃度になるように、最初、はけに染料をたっぷりとつける。 そこからは一気だ。 はけを数十センチずつ滑らせながら往復し、裏返し、また表へ。 10 分ほどで染め上がった。 模様があったり、濃い色に染めたりする時はもっと時間がかかるという。

「染色は、薄かった、濃かったに尽きる。」 修業時代に聞かされた、忘れられない先達の言葉だ。 「完成してみなければ分からない。 100% うまくいくことがなかなかない難しさがある。 あくなき挑戦というか、追求していく価値がある。」 友禅への思いだ。【八重樫裕一】

(毎日新聞 = 4-17-17)

友禅染など京都の伝統技術の詳細は

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