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和服のススメ - 作家、秋尾沙戸子が GQ 男子に伝えたいこと

「若いうちから和服を纏うべき」と GQ 読者に提唱するのは『ワシントンハイツ』の著者、秋尾沙戸子。 和服の世界にハマった作家が、その魅力を語る。

目には清かに見えねども、世の中は確実に変化している。 学歴は意味がなくなり、戦後 70 年かけて作り上げられたヒエラルキーが崩れつつある。 アメリカのトランプ政権誕生はその象徴で、これまでの人類の常識が覆される段階に入った。 あるときは人為的に、あるときは人知を超えた天変地異によって。

生き残るのは誰か。 物事の本質を見抜き、想定力を備えた目利きである。 先人の知恵に学び、五感を研ぎ澄ました人間こそ、来るべき荒波を乗り越えて未来の日本を背負って立つ、と私は考えている。 そんな小難しいことはどうでもいい。 笑って人生をまっとうしたいという人もいるだろう。 大丈夫。 日々楽しく過ごしながら、しかし気づけば、先人の知恵が身につく秘策がひとつある。

和服を纏うことである。

醍醐味は、文様の面白さ。 先人が選んだ文様には、必ず意味があるのだ。 麻の葉には魔除けの霊力が宿ると信じられ、正六角形を基本とした麻の葉の幾何学文様が好まれた。 鯉が天に昇って龍になる様を描いた昇り龍も選ばれている。 戦国武将がトンボを勝ち虫と呼んで重用したのは、トンボは前にだけ進み、後ろに下がらないためだ。

信長をはじめ多くの武将に圧倒的人気を博したのは蝶文で、一度サナギとなって美しい蝶に変わるから復活や不老不死を象徴するとされた。 死と隣合わせの戦国時代、縁起担ぎは重要で、勝利を象徴する文様を纏って戦に臨んだ。 文様を魅力的にデザインした贅沢な装束で武将は威厳を放ち、部下を惹きつけた。

そもそも着物は、宮中貴族のものだった。 中国かぶれの公家たちは、牡丹、菊、梅、橘が描かれた中国の吉祥文を嗜好した。 武将たちはこうした唐物を公家以上に豪華なものに仕上げて身につける一方、たとえば信長や家康は、絞り染めの小袖、辻ケ花を好んだ。

辻ケ花は遊女が着ていた T シャツ的存在で、そこには、蒲公英、百合、萩など、日本オリジナルの草花が描かれていた。 権力を握ると、彼らは当時の染織技術の粋を集め、そうした文様を描いて絢爛な着物に昇華させ、貴族に対抗したのである。

平和が訪れると、財力のある商人や下級武士までも派手な着物を着たくなる。 権力者には不都合だ。 そこで絹は禁じられ、庶民は綿や麻地の、茶や鼠や紺の地味な着物に限定された。 現代でいえば、サラリーマンのスーツである。

しかし、地味なスーツでは面白くない。 羽織の裏や襦袢を華やかにし、見えないところで自分らしく遊んだ。 また、縞文(ストライプ)が流行った時期もあるのだが、それは服従したくない権力者とは交わらないという抵抗の意思表示だった。

おそらく GQ 男子は、オシャレに余念がなく、洋服の着こなしについて研鑽を重ねてきたはずだ。 カジュアルからフォーマルまで、冠婚葬祭すべてに対応できる装いは、しかし 40 代にはある程度やり尽くして、突然、飽きてしまう。 かくいう私も、ノーマ・カマリ、ティエリー・ミュグレー、イッセイ・ミヤケ、モスキーノ、そしてユキ・トリヰの洋服を極めて和服へと突入し、その奥深さにはまっている。

「日本人なのに、なんで着物着ないの?」 世界各地を取材しながら、何度も受けたこの問いにも、背中を押された。 海外に出て信頼されるには、自国の歴史や伝統文化を語れなければならない。 自国の民族衣装を着こなしてナンボである。

だが哀しいかな、着物は一朝一夕では様にならない。 能の仕舞や茶道を嗜んで、初めて所作が身につくものだ。 しかし、そんなことを言い出せば、定年退職してからと先延ばしになってしまう。 それでは遅いのだ。 だから言いたい。 若いうちから和服を纏えと。 浴衣でいいから、からだを慣らせと。 なよなよしたイタリアの青年だって、中年になれば誰でも絵になるではないか。 場数を踏むことが大切なのである。

まずはこの夏、浴衣を着て花火大会に興じてはどうか。 黒など渋く深い色を纏えば、不慣れでも格好がつく。 8 月 16 日、五山の送り火に京都へ出向き、御所や鴨川辺りで、極楽浄土にお帰りになるご先祖さまに手を合わせるのも素敵だ。 なんともいえぬ心地よさに、日本人の血が騒ぎ始めるはずである。 (秋尾沙戸子)

(GQ = 8-21-18)

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