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昔の着物「粋返らせる」 美付師 濱田久代さん

「人を美しくする」とはどういうことだろう? 濱田久代さん (49) は「鏡の前に立ったその人から自然と笑みがこぼれるようにすること」だと語る。

人それぞれが内に秘める優しさや愛らしさ、あるいは繊細さや芯の強さ。 「その人の『心の色』を着物でパワーアップさせるの。」 時が降り積もった古い着物を使うことが多い。

着付けをするだけではない。 着物選び、ちらりと見える帯揚げや半襟の色の組み合わせ、ヘアメーク、立ち姿に歩き方まで、すべてを計算して個性を引き出すコーディネートを仕上げるのが、濱田さんの仕事だ。

「鏡の中の姿に、その人の本質の美しさが映し出される。 だから心からの笑みが浮かぶ。」 十人十色。 「美を見つけ、美を付ける」ことが自分の使命と考え「美付師」を名乗るようになって、5 年近くが経つ。 20 代は中学校や高校の国語教師として働きながら、メークや着付けの勉強を続けた。 30 歳を前に専門学校のメークアップ講師に転職。 着付けも教えるようになった。 1994 年に独立、雑誌撮影のメークなどに飛び回った。

「幼いころ、常に手鏡を持ち歩く子でした。 ナルシシストでなく『人は、人からどう見えるのか?』ってことをいつも考えていて。 どうしても美へのあこがれは抑えられなかった。 人生後悔したくなくて、この世界に飛び込んだんです。」

充実した日々に突然転機が訪れる。 2003 年、仕事帰りのタクシーで事故に遭い、肋骨(ろっこつ) 12 カ所を折る重傷を負った。 入院は半年に及んだ。 「ただ生きることに精いっぱいもがいて」ようやく退院したとき、ふと立ち止まった。 「これから私、前と同じように仕事をできるんだろうか。 私だけにできることって、何だろう?」

漠然とした疑問を抱いたまま翌年、実家に帰省した。 ある日、押し入れの前に出してあった紙袋を見つけた。 開けてみると、目の覚めるような紫色、細かな刺しゅうが光を放つ着物や羽織が詰まっていた。 「なんて斬新な …。」 鏡の前で袖を通すと、それまで何百着と触れてきた着物とはまったく異なる衝撃を感じた。 後で家族に聞くと、大正時代から伝わる着物だった。

「血が体を駆けめぐった。 花鳥風月を体感しながら、それを織り込もうという当時の職人の心意気が、びりびり伝わってきて。 この『意気』を、私が伝えなきゃ。」 「美付師」が生まれた瞬間だった。 大正や昭和時代などに作られ、リサイクル店の片隅やたんすで眠っていた着物や羽織を掘りおこし、時にスカーフや帽子も組み合わせる。 着物は表情を変える。 濱田さんはこれを「粋返(いきがえ)る」と説明する。

「職人の『意気』を姿にすれば『粋』ということ。 だから『粋だね』と言われたい。」 「やっぱり着物はよかねぇ。」 会う人はみな、目を細めて口にする。 でも、こうも言う。 「なかなか着きらんもんね。」 「どんどん着て、女っぷりを上げてくださいよ。」 濱田さんは声を大にする。

「かわいらしく、時にはあでやかに。 こんなに自分を楽しめる服、他にはないですよ。」 濱田さんの願いは、一人でも多く、そして世界中の人に、しびれるような昔の着物の良さを体感してもらうことなのだ。 長い眠りから覚めた着物たちも、笑っていることだろう。(大矢和世)

(西日本新聞 = 6-8-09)

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▼ はまだ・ひさよ 1960 年、長崎県諫早市出身。 07 年、九州国立博物館(福岡県太宰府市)での着物ショーや、着物で街歩きをするイベント「博多きものパスポート」などを手掛ける。 今年 3 月には古い着物を使った表現の集大成としてビジュアル本「平成浮世の着物絵巻(梓書院)」を出版した。 福岡市南区在住。

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