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「弥生時代」の大幅な延長 (20)

宮内庁書陵部も、関係する考古学者の研究に資するため、発掘・調査・解析を続けられていることに安堵を覚えます。 本来であれば、関係者全員で集中的な調査が進めば、歴史の解明が格段に進むであろうことは明白です。 そのような時代ができるだけ早く実現できることを望んでいます。


実は 525m … 国内最大の古墳 宮内庁ネットで公開

国内最大の古墳・大山(だいせん)古墳(仁徳陵古墳、全長約 486 メートル) = 堺市 = は造営時、全長 525 メートル以上だったことが分かった - -。 宮内庁がデジタル公開した「書陵部紀要」の中で、そんな研究論文を掲載した。 皇室伝来の資料や陵墓(天皇や皇族の墓)・陵墓参考地を管理する宮内庁書陵部には、歴史学や考古学の専門職員が配され、調査研究の成果は毎年刊行される「書陵部紀要」で公表されてきた。

発行部数が限られ、とくに関心が高い陵墓の発掘調査や測量の報告は数年分が「陵墓関係論文集」にまとめられ、2010 年までに計 7 冊が刊行された。 最新号には大山古墳の測量のほか、「卑弥呼の墓」との説もある奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳で出土した埴輪(はにわ)や土器に含まれる砂の観察結果などが掲載されている。

大山古墳の内濠(うちぼり)測量を巡っては、音の反響によって水深を測る装置を船に搭載し、得られた水深のデータを全地球測位システム (GPS) の位置情報と組み合わせて 3 次元化した。 水中に残る墳丘の裾部分が確認でき、濠の底で測った古墳の全長は約 525 メートルだったことが分かった。 造営当初の全長はさらに大きくなりそうだ。

箸墓古墳で出土した特殊器台や円筒埴輪、壺(つぼ)形埴輪の土に含まれる砂礫(砂や小石)については、奥田尚(ひさし)・奈良県立橿原考古学研究所特別指導研究員が分析した。 顕微鏡で観察して表面に含まれる砂礫を調べた結果、後円部で出土した特殊器台や円筒埴輪など 54 点は、そのすべてが吉備(現在の岡山県)の総社平野の砂礫を含んでいた。 一方、前方部出土の壺形土器と壺形埴輪 26 点の砂礫は、地元の桜井市内のものと推定できると論じた。 後円部に被葬者の埋葬施設が設けられているとみられ、被葬者と吉備との強い関係がうかがえる。

世界遺産登録を目指す大阪府羽曳野市の古市古墳群の墓山(はかやま)古墳(全長約 225 メートル)では、墳頂部にある長持(ながもち)形石棺(がたせっかん)のふたの破片(長さ約 1.65 メートル)の写真や図面を公開。 古市古墳群で最初に築かれたとみられる藤井寺市の津堂城山(つどうしろやま)古墳(全長約 208 メートル)で明治時代末に出土した長持形石棺と同じような格子状の模様があるという。

紀要は、宮内庁トップページ http://www.kunaicho.go.jp の「皇室に伝わる文化」からリンクされる「書陵部所蔵資料目録・画像公開システム」で公開される。 (編集委員・今井邦彦)

- 産経新聞 2018 年 4 月 19 日 -


邪馬台国論争「新たな段階」纒向遺跡で発見続々

邪馬台国はどこにあったのか? 古代史最大の謎を巡る論争は、新たな段階を迎えている。 畿内説での有力候補地で、大和王権の発祥の地とされる奈良県桜井市の纒向まきむく遺跡で、新たな発見や研究が相次いでいるからだ。 長年の論争は決着に向かうのか、最新情報を追った。

邪馬台国は、3 世紀後半に成立した中国・魏(220 - 265 年)の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する。 2 世紀後半 - 3 世紀の倭国(日本)について記し、それによると倭国は 70 - 80 年にわたって乱れ、国々が戦い合った末、邪馬台国の女王・卑弥呼を立ててまとまったとされる。 朝鮮半島から邪馬台国への道のりも記すが、倭の諸国間の方角や距離を大まかに示すだけで、どこにあったかは不明瞭だ。

所在地研究は江戸時代に遡る。 儒学者・新井白石は音の類似性から大和やまと国(奈良県)や筑後ちくご国(福岡県)山門やまとを候補に挙げた。 明治時代には共に東洋史学者の内藤湖南(こなん)が畿内説、白鳥庫吉(くらきち)が九州説を唱えて論争に発展した。 九州にあった邪馬台国が畿内に移ったとする「東遷(とうせん)説」も提起された。

畿内説のよりどころが纒向遺跡だ。 東西 2 キロ、南北 1.5 キロの大集落で、3 世紀初めに突如出現した。 九州から関東までの土器が見つかり、日本最初の「都市」とされる。 2009 年に 3 世紀前半 - 中頃の大型建物跡群が出土。 東西に方位をそろえ、規模も当時最大。 邪馬台国の時代と合い、「卑弥呼の宮殿」説もある。

- 読売新聞 2018 年 6 月 24 日 -


奈良出土の三角縁神獣鏡は中国製か 蛍光 X 線で分析

奈良県天理市の(3 世紀後半)から出土した 33 面の三角縁神獣鏡について、京都市の泉屋博古館(せんおくはっこかん)が大型放射光施設「スプリング 8 (兵庫県佐用町)」で蛍光 X 線分析したところ、鏡に含まれる銀などの微量元素の割合が、古代中国鏡とほぼ一致することが分かった。 橿原考古学研究所が今月刊行した調査報告書「黒塚古墳の研究」で紹介されている。

三角縁神獣鏡は、古代中国の魏が邪馬台国の女王卑弥呼に贈った「銅鏡百枚」とする説がある。 ただ、中国国内では確認されておらず、中国製か国産かをめぐって長く議論が続いている。 今回の調査結果により、黒塚古墳の三角縁神獣鏡が中国で製作された可能性が高まったといえ、論争に一石を投じる成果となりそうだ。

33 面の三角縁神獣鏡は平成 9 - 10 年にかけて実施された発掘調査で、竪穴式石室(長さ 8.2 メートル、幅 1.2 メートル)から出土。 一つの古墳からの出土数としては全国最多で、文様や銘文から全て中国から輸入された舶載鏡(はくさいきょう)と考えられている。

泉屋博古館はその後、スプリング 8 の強力な放射光を使い、蛍光 X 線分析を実施。 鏡に含まれる錫、銀、アンチモンの 3 元素の組成数値を調べ、グラフ化したところ、古代中国の前漢後期 - 三国時代(紀元前 1 世紀 - 3 世紀)の鏡の組成数値の分布エリアに収まることが判明。 黒塚古墳の三角縁神獣鏡と前漢後期 - 三国時代の中国鏡が、同じ原材料で作られている可能性が高まった。 一方で、同古墳から出土した画文帯(がもんたい)神獣鏡 1 面も、同じ分布エリア内に収まっている。

泉屋博古館は過去にも、久津川車塚古墳(京都府城陽市)出土の三角縁神獣鏡などをスプリング 8 で蛍光 X 線分析し、同様の結果を得ている。 中国青銅器を専門とする同館の広川守副館長は「黒塚古墳の鏡は材料的には中国鏡と考えられる。 どこで作られたのかは分からないが、中国で製作された可能性もある。」としている。

- 産経新聞 2018 年 10 月 13 日 -


宮内庁、仁徳天皇陵を発掘へ 今月下旬から堺市と共同で

宮内庁と堺市は 15 日、同市堺区にある日本最大の前方後円墳「大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵)」について、今月下旬から共同で発掘すると発表した。 古墳保存のための基礎調査だが、歴代天皇や皇族の陵墓の発掘に宮内庁が外部機関を受け入れるのは初めて。 宮内庁は「周辺遺跡の知見を持つ堺市との連携は適切な保存につながる。 天皇陵の保全管理に地元の協力は不可欠。」とする。

大山古墳は全長約 500 メートルで、三重の濠(ほり)が巡る。 宮内庁は仁徳天皇の墓として管理するが、学術的には未確定。 調査は 10 月下旬 - 12 月上旬、埴輪(はにわ)列などがあったと考えられる最も内側の堤(幅約 30 メートル)に幅 2 メートルの調査区を 3 カ所設け、堺市の学芸員 1 人も発掘や報告書作成に加わる。 宮内庁陵墓課は、今後も堤の別の部分や墳丘の裾などを発掘し、濠の水で浸食されている古墳の保存計画を作る。

宮内庁は全国の陵墓への立ち入りを「静安と尊厳を保持するため」として原則認めず、単独で調査してきた。 考古学界は陵墓の公開と保全を訴えており、宮内庁は 2008 年から、日本考古学協会など考古・歴史学の 16 団体に限定的な立ち入り観察を認めた。 16 年 3 月には地元自治体や研究者に協力を求める方針に転換し、徐々に公開度を高めてきた。 今回、一般向けの現地説明会はないが、速報展や講演会の開催を検討しているという。

宮内庁の陵墓管理委員会で委員を務める白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長は「古墳全体を保存活用する上で地元や研究者の協力は欠かせず、今回の共同発掘は重要な一歩だ。 陵墓の公開に向けても歓迎できる。」と評価した。 堺市は大山古墳を含む百舌鳥・古市古墳群の来年の世界文化遺産登録を目指している。【矢追健介】

- 毎日新聞 2018 年 10 月 15 日 -


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