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曽我さん夫妻抱擁の向こうに

2004 年 7 月 9 日、1 年 9 ヶ月ぶりに、曽我ひとみ、C. R. ジェンキンズご夫妻と二人の娘さんの再会が、インドネシア、ジャカルタで果たせました。 タラップの下でしっかりと抱き合う二人、その回りで泣きじゃくる二人の娘さん。 何とも感動的な場面でした。

とりわけ筆者の目には、両親の抱擁が終わるまでじっと待っておられた娘さんが、この 20 年余、ご夫妻により、いかに愛情を込めてしっかりと育てられたのかを考えた時に、更に感動は増しました。

我々でも海外の飛行場で目にする家族どうしの再会の場面、最年長者から始めるハグは、小さな子にはなかなか回って来ません。 年下の方から先に手を廻すことは出来ませんから、両手をちょっとパタパタさせながらもグッと上を向いてジッと待っている姿は微笑ましいものです。 お二人の娘さんにとっても、きっと長い時間に感じられたことでしょう。

これまで、お子様の置かれてきた環境は知る由もありませんが、お二人とも北朝鮮で全ての若者の憧れ、「平壌外国語大学」入られているので比較的に恵まれていたとは信じますが、おそらく口には出されることが無いであろう苦しみや悲しみの中で、子どもたちのみに将来を託して、厳しくも愛情深く育て上げてこられたのでしょう。 地村さん、蓮池さん両ご夫妻のお子様方が帰国された時も、やはりご両親が、隔絶された彼の地で懸命に育て上げられる姿を思い浮かべてしまいました。

そして、我々日本人が忘れかけている(失いかけている)何かがそこにあるのではないかと、ハッと気付きました。 今、一人の女性が一生に生む子どもの数は、僅か 1.29 人とか! 夏空の下の車中に赤ん坊を放置してしまう親。 走るミニバンの中で動き回る子どもへ注意も出来ない親。 子どもへの虐待死。 それこそ、この日本では、お金で買えない何かが失われかけているようです。

このような現実の中で、「純粋の愛」を追い求める韓国のドラマには何故か懐かしさを感じ、ひかれてしまいます。 しかし、海外(とりわけフィリピンやタイ)からの看護師を受け入れる話しは一向に進みません。 命を繋ぐ器具を故意に取り外すような看護助手まで現われる事件も発生しているというのに、未だ、「外国人に命を預けられるか」と言った暴言まで聞こえてきます。

まるで全てを許せるとでも言いかけるような両手を合わせたタイ式挨拶、フィリピンでは病院にも大きなマリア像があり、手の届くところは元の色が分からなくなるくらいピカピカに光っています。 今、我々に、男女の愛だけではなく、家族(の中で固く結ばれた)愛、そして回りの人々への思いやり、更には与えられた命の大切さ、までよみがえらせてくれるのは、むしろ外国から来る人々かも知れないと ・・・ そうです。 今は純粋で豊かな心まで外から輸入しなければいけないのかも知れません。

【平壌外国語大学】 派手な若者たちの「閉ざされた社会」の突破口

早い朝、出勤を急ぐ勤労者でごった返す平壌(ピョンヤン)の他の地下鉄駅とは違って、ヒョクシン線サムフン駅を抜け出る人波は、その外見と行動がまったく異なる 2 部類の大学生で分けられる。 一つは制服姿に、きちんとバッチを付け、10 人ずつ列を並んで動く反面、片方の部類はバッチはカッコ悪いといって付けず、学生同士で集まって動くこともない。 典型的な模範生を連想させる前者は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)最高の金日成(キム・イルソン)総合大学生で、後者は北朝鮮でもっとも「派手な若者」として挙げられる平壌外国語大学生だ。

平壌の中心街であるチュング駅チャングァン通りで、夜遅くまで缶ビールを飲み、青春を享有する大学生たち。 1989 年、平壌で開かれた世界青年学生祝典以降、ディスコとジーンズのブームを主導した若者たち。 当局がジーンズを禁止すると、制服と類似な紺色のヒップポップのズボンを制服の代わりに着用する怖いもの知らず。 大学の視聴覚室で禁止されている外国のビデオを集団で観覧して摘発され、社会的に大きな物議をかもした問題児たち。 しかし、このような外見だけで、彼らを評価してはいけない。 彼らは北朝鮮で最も開けた意識を持つ若者であり、国内外の事情を最も正確にキャッチしている部類であり、才能と実力を兼備した水準の高い実力派たちだ。

平壌外国語大学は北朝鮮唯一の外国語大学で、都心から錦繍山(クムスサン)記念宮殿に進入するクムソン通りを間に挟み、金日成総合大学を向かい合っている。 学生数はあわせて 2,000 人余り。 このうち 90% は平壌外国語学院の卒業生で、残りは地方の高等中学校の出身だ。 学制は 4 年。 卒業すれば、外国語専門家の資格が与えられる。 一般大学と同様、学部制で運営されており、学部の中にはロシア語、中国語、アラブ語、英語、日本語、ドイツ語、フランス語などを専攻する学科がある。 中でも、英語学科が最も多いと言う。

平壌外国語大学は北朝鮮でも最も人気の高い大学の一つだ。 金日成総合大学生の親のほとんどが正統な官僚出身であるのに比べ、平壌外国語大学生の親は、高位職ではないが、各部門の核心の要職の人が多い。 言って見れば、各部門で実際の権力を行使したり、大金を手にする座にいる人の子女が多く入学しているのである。 大学での授業はほとんど会話を中心に行われる。 一般授業は韓国語で行われるが、その他の外国語授業はもちろん、日常的な対話も全て外国語で行われている。 - - - - - 金グァンイン記者

- 朝鮮日報 平成 14 年 8 月 19 日 -


ジェンキンスさん、手記で日本人拉致被害者目撃など明かす

拉致被害者の曽我ひとみさん (46) の夫ジェンキンスさん (65) が、7 日に出版する手記「告白(角川書店)」の中で、横田めぐみさん(行方不明時 13 歳)ら北朝鮮で日本人拉致被害者を目撃した様子などを初めて明らかにした。 めぐみさんが曽我さんに手紙を送ったことや、有本恵子さん(同 23 歳)とみられる女性を見た状況などをつづっている。

曽我さんの証言では、拉致直後の 78 年 8 月ごろから 2 度にわたって、めぐみさんと共同生活を送ったが、80 年 6 月に曽我さんがジェンキンスさんと暮らすために別れた。 手記では、その際、めぐみさんが、せんべつとして拉致された時に持っていた部活動の着替えを入れるバッグを曽我さんに贈ったと記している。

バッグは「外国人専用の店へ行く時の買い物袋」として大事に使い、04 年 7 月にインドネシアで曽我さんとの再会を果たす時に「拉致の証拠品」として持ち出そうとしたという。 また、83、84 年ごろ、曽我さんが百貨店で顔見知りの店員から預かった手紙は、ハングル文字の配列表とともに、「朝鮮語の勉強は進んでいますか」などと書かれていたことから、めぐみさんが書いたものだと分かったとしている。 手紙は、平壌の中心部で元気に暮らしている様子などがつづられていたという。

手記は、別の百貨店で、ジェンキンスさんが曽我さんと一緒に買い物をしていた時に、指導員といためぐみさんと会った時の様子に触れ、めぐみさんが朝鮮語で「奥さんと大の仲良し」と自己紹介したとも記している。 86 年には、欧州で拉致された石岡亨さん(同 22 歳)と有本さんとみられる夫婦を百貨店で目撃。 有本さんらしき女性について、ジェンキンスさんと一緒にいた脱走米兵の妻は、「産院に入っていた時にいた日本人女性で、女性は『自分も夫も欧州で英語の勉強中に拉致された』などと話していた」という。

このほか、独身時代の 71 年に船の故障で北朝鮮に漂着した 2 人組の男性と一晩過ごしたことなど、複数の日本人らしき人物について記している。 【西脇真一】

- 毎日新聞 平成 17 年 10 月 5 日 -


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