日本人の受けた戦争被害 (15)

ビルマで本格的な遺骨調査・収集が始まるとのニュース、嬉しい限りです。 全く理不尽な「作戦」に駆り出され、大半が飢えと病で命を落とされた方々を心を込めて弔う、義務があります。

インパール作戦の戦死者遺骨、本格収集へ 40 年ぶり

旧日本軍に 3 万人の戦死者を出したインパール作戦から今年で 70 年。 敗走する日本兵が通ったミャンマー西部チン州で、約 40 年ぶりとなる本格的な遺骨収集が始まりそうだ。 民主化が進むなかで昨年 1 月、外国人の立ち入り規制が緩和。 民間団体が収集に向けた調査に乗り出した。 車がやっとすれ違える細い道が、険しい崖の上を曲がりくねって続く。 ミャンマー西部カレーミョからチン州北部、インド東部のインパールへと続く道は、日本兵が進み、撤退したルートの一つだ。

たくさんの兵士が命を落とした退路は「白骨街道」と呼ばれた。 今も舗装されていない道路は、雨期の雨でぬかるんでいた。 沿道は当時のように密林に覆われ、少数民族の村々がまばらにある。 少数民族のゾミ族が住むトゥイキアン村で日本兵のものとみられる遺骨が見つかったのは、今年 4 月。 日本兵の墓と伝わる沢沿いの木の下にあるくぼみを掘ったら骨が出てきたという。 (トゥイキアン村〈ミャンマー西部チン州〉 = 福田直之)

- 朝日新聞 2014 年 8 月 28 日 -


ミャンマーで日本兵の遺骨調査へ 約 30 年ぶり広範囲に

太平洋戦争で多くの日本兵が犠牲になったミャンマーで、日本政府が年度内にもおよそ 30 年ぶりに広範囲の遺骨調査をする見通しになった。 民主化で外国人の立ち入りが緩和され、遺骨の情報が寄せられたのがきっかけとなった。 厚生労働省がミャンマー政府と協議して取りかかる方針だ。 調査を進めるのは、遺骨の情報が寄せられた北部のザガイン管区、西部のチン州、東部のカヤー州の 3 カ所。 同省によると、安倍晋三首相が 11 月の同国訪問時にテインセイン大統領に遺骨調査への協力を依頼していた。 見つかった遺骨は身元が分かれば、ふるさとに帰ることになる。

このうち、チン州は、1944 年にあったインパール作戦でインドに進軍した 10 万人の旧日本軍が英軍に敗退。 飢えにも苦しみ、計 3 万人が命を落とした。 厚労省によると、この作戦を含めた同国内の遺骨は 9 万 1 千人分が収容されたが、82 年以来、大規模な調査はされておらず、4 万 6 千人分の遺骨が収容されていない。 チン州で先行調査をした民間団体「ミャンマー/ビルマご遺骨帰国運動」の井本勝幸さん (49) は、「一人でも多くのご遺骨が見つかればうれしい」と話している。(福田直之)

- 朝日新聞 2014 年 12 月 2 日 -


抑留死の日本人名簿公表、遺族は複雑

厚生労働省が 30 日、終戦後に旧ソ連に抑留されて死亡した日本人の名簿を公表した。 遺族らは貴重な情報と歓迎する一方、「公表がもっと早ければ」との声も上がっている。

〈氏名 若杉初枝〉 名簿には日赤の従軍看護婦として派遣され、北朝鮮で亡くなった新潟県出身の女性とみられる名前があった。 「初枝さんはどんな人だった?」 新潟県見附市の特別養護老人ホームで、初枝さんの弟、若杉不二臣さん (84) は親族の問いかけに「思い出せない」と困ったような表情を見せた。 初枝さんのめい、杵渕京子さん (59) によると、初枝さんを直接知る不二臣さんら 4 人のきょうだいは全員 80 代。 いずれも、この数年で認知症による記憶障害や理解力の低下が目立つようになった。

日赤の資料によると、初枝さんは 1944 年 7 月、朝鮮半島北部の会寧陸軍病院に配属され、その後、戦病死したとされる。 公表された名簿によると、死亡場所は興南地域で、死亡年月日は 46 年 12 月 8 日。 25 歳だった。 厚労省が北朝鮮などでの死亡者名簿をロシア側から入手したのは 2006 年。 杵渕さんは「最期をうかがい知る貴重な情報だ」としながら「もっと早く知らせてくれればよかったのに」と悔しがる。

千葉県松戸市の阿部昌子さん (78) の父、守田一雄さんは、一家で暮らしていた旧満州で 1945 年 5 月ごろ、軍に召集された。 当時 41 歳だった父の消息が分からないまま終戦を迎え、家族は日本に引き揚げた。 現在の北朝鮮にあった「古茂山収容所」で父が戦病死したとの公報を受け取ったのは 47 年のことだ。 ただ厚労省が今回公表した名簿には古茂山収容所は含まれていなかった。 昌子さんは「遺族は高齢化しており、他の名簿も探して早く公表してほしい」と訴えた。

- 共同通信 2015 年 5 月 1 日 -


日独市民が灯籠流し、ポツダムで原爆犠牲者追悼

広島、長崎への原爆投下から 70 年を迎える 8 月を前に、1945 年、当時のトルーマン米大統領が投下命令を下した地とされるドイツ東部ポツダムで 25 日、ドイツと日本の市民が灯籠流しで犠牲者を追悼した。 灯籠は連合国が日本の降伏条件を協議したポツダム会談の期間中、トルーマン氏が利用した旧宿舎に面するグリープニッツ湖に流された。 強風の中、約 50 個の灯籠が湖面を明るく照らした。

灯籠流しに先立ち、旧宿舎前の「ヒロシマ・ナガサキ広場」では追悼式典が開かれ、主催した市民団体のウーベ・フレーリヒ会長 (51) が「犠牲者だけでなく、未来のための追悼だ。 核兵器のない世界を実現しなければならない。」と表明。 松井一実広島、田上富久長崎両市長のメッセージが読み上げられ、日独市民の合唱団の歌声が響いた。

- 共同通信 2015 年 7 月 26 日 -


シベリア抑留の登録批判 = 世界記憶遺産でロシア

ロシア政府の国連教育科学文化機関(ユネスコ)委員会のオルジョニキゼ書記は、世界記憶遺産に第 2 次大戦後のシベリア抑留者に関する資料が登録されたことについて、「ユネスコの政治利用」と日本を批判する立場を示した。 ロシア通信が 14 日伝えた。

オルジョニキゼ書記は、政治問題化するような案件をユネスコに持ち込むべきではないとの見解を表明。 こうした案件は 2 国間で解決すべきだと訴えた。 オルジョニキゼ書記は歴史問題をユネスコに持ち込むことは「パンドラの箱を開けることになる」と警告。 日本政府は中国が推薦した南京事件の資料が登録されたことで中国側に抗議しているが、「日本こそがパンドラの箱を開けた」と非難した。

- 時事通信 2015 年 10 月 15 日 -


オバマ氏広島訪問、米有力紙は支持 「謝罪」懸念の声も

オバマ米大統領が、5 月の主要7カ国 (G7) 首脳会議(伊勢志摩サミット)の際に広島を訪問することを本格検討するなか、米国のメディアや専門家の間でも議論が起きている。 複数の米有力紙が広島を訪れる意義を強調し、訪問を支持する社説を掲載する一方で、オバマ氏の訪問が謝罪と受け取られると懸念する意見も出ている。

ワシントン・ポスト紙は 16 日付紙面で「広島の教訓と遺産」と題する社説を掲載。 「オバマ大統領は謝罪のためではなく、核の平和に向けて努力するために都市(広島)を訪問すべきだ」とした。 社説では、広島と長崎への原爆投下を「無慈悲な高熱の爆風と放射能を解き放った、戦争の歴史で最も恐ろしい出来事の一つ」と表現。 「現実に核兵器がすぐに消滅することはない」としつつ、オバマ氏が 2009 年に「核なき世界」を訴えたプラハ演説に触れ、オバマ氏が広島を訪れて核軍縮の道筋を示す意義を強調した。

ニューヨーク・タイムズも 13 日の紙面で「広島から核なき世界へ」と題する社説を掲載。 「ケリー氏が地ならしをした以上、オバマ氏が初めて広島を訪問する大統領になることを妨げるものはないはずだ」とし、「核兵器のない世界」の実現に向けた新提案を用意して臨むよう促した。 また、オンライン雑誌「戦略文化財団」は 16 日、元中央情報局 (CIA) 情報分析官のポール・ピラー上級研究員の論文を掲載。 ピラー氏は原爆の犠牲者の大半が軍人ではなく一般市民だったことや、戦後日本が専守防衛に努めてきたことを挙げ、「オバマ氏は広島に行くべきだ」と主張した。

米国民の間では注目集めず

米国の主要な新聞では、オバマ氏の広島訪問に反対する論調はいまのところない。 オバマ政権が懸念していた米大統領選への影響も、トランプ氏ら共和党候補者は現段階では、この問題に焦点をあてた発言はしていない。 広島訪問が検討段階ということもあり、米国民の間でも大きな注目は集めていないのが現状だ。 ただ、一部の保守系雑誌などは、ケリー米国務長官による先週の広島訪問がオバマ大統領訪問の布石になっているとの警戒感をあらわにしている。

政治雑誌「ナショナル・ジャーナル」は 15 日、「オバマ政権は広島について謝罪すべきではない」との論文を掲載。 ケリー長官が広島を訪問し、平和記念資料館(原爆資料館)を参観したことなどが、「謝罪」を示唆していると批判。 原爆投下が戦争終結を早めたと主張し、「日本は 20 世紀で最も残忍な政権の一つだった」などとした。 また、保守系のオンライン雑誌「アメリカン・シンカー」も 15 日、ケリー氏の広島訪問を「日本が真珠湾で我々に攻撃を仕掛け、悲劇をもたらした事実を無視するものだ」と批判し、原爆投下への謝罪は不要だとする論評記事を掲載した。 (ワシントン = 佐藤武嗣)

- 朝日新聞 2016 年 4 月 18 日 -


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