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麻織物、歴史ある手作業 越後上布と小千谷縮 新潟

世界無形文化遺産に登録されている新潟の麻織物、越後上布(じょうふ)と小千谷縮(ちぢみ)。 軽くて通気性の高い生地は夏に重宝されるが、雪国の気候を生かして冬に作られる。 着物の需要減とともに生産が減る中、新たな取り組みもある。

7 日午前、南魚沼市西泉田。 日差しで輝く雪で覆われた水田の上に、長さ約 12 メートルの越後上布が 5 枚、平行に並べられていた。 越後上布と小千谷縮の工程の一つ、「雪ざらし」。 織物を水でぬらして晴れた日に雪の上にさらすと、蒸発した雪から発生するオゾンの効果で布地が漂白されるという。

担い手は、近くに住む農業古藤政雄さん (79)。 日にさらしすぎれば模様まで落ちてしまうが、時間は織物ごとに異なる。 「漂白がうまくいくと、縦糸が一本一本浮き上がってくるんだ」と見極めのコツを話す。 汚れてしまった着物にも有効で、新品のようにきれいになるという。

しわがなくなめらかな手触りの越後上布と、表面に「しぼ」とよばれるしわがある小千谷縮。 どちらも原料は、苧麻(ちょま)と呼ばれる麻の一種から繊維質だけを取り出した「青苧(あおそ)」。 重要無形文化財に指定されるものは、この青苧を手で裂き、一本ずつ繊維を取りだした糸を使って手織りする。 一反の織物を作るのに 2 年以上かかることもある。

小千谷市や南魚沼市の織物業者で作る「越後上布・小千谷縮布技術保存協会」によると、すべて手作りなら一反 300 万 - 400 万円の値がつくこともある。 歴史は古く、749 年に旧三和村(現上越市)から租税として「越後の麻布」が納められたという記録が東大寺の正倉院に残る。 上杉謙信の時代にも生産が奨励され、朝廷や将軍家への献上品にもなった。 乾燥すると切れやすくなる麻の繊維を織るには、湿度の高い雪国の冬が適しており、農家にも農閑期の副業として重宝されたという。

ただ、着物離れから生産量は減少傾向にある。 古藤さんの雪ざらしも、1970 年代の最盛期には一冬で数千反を地域の住民が総出で扱ったこともあったが、着物離れで今は 50 反ほどを一人で担う。「 昔は、子どもの卒業式でもみんな着物を着ていたけど …。 この仕事も俺の代で終わりかな。」と話す。

後継者・需要増やす試みも

一方で、後継者を増やしたり、需要を掘り起こしたりといった努力も続く。 トントンと響くリズミカルな機織り機の音。 5 日、小千谷市土川の「山岸織物」では、4 人の女性が小千谷縮を織っていた。 4 人は、1967 年から続く保存協会の伝承者養成事業の参加者。 実際に織物を作りながら、1 シーズン 100 日間など各工程ごとに決められた日数の講習を受けることになる。

夫が市内で小千谷縮を作っているという小林綾華さん (30) は、今季、初めて講習に参加した。 「機械ではなく、昔ながらの製法を身につけたい。」 山岸織物の社長、山岸良三さん (74) によると、機織りや糸をつむぐ「手うみ」など、伝統的な技法を習得したのは現在 80 人ほど。 昭和の終わりに着物離れなどで織物業者の倒産が相次いだが、平成の 30 年間で「後継者育成が軌道に乗って持ち直した」という。

業界では、扇子や小物入れ、タオルやシャツなど着物以外の製品にも活用しようと努力が続く。 直近の目標は、県内各地で 9 月から開かれる「国民文化祭」での PR。 「越後の麻織物は上質で手触りもよく、何百年も愛用されてきた。 この文化を次世代に残したい。」 (武田啓亮)

(朝日新聞 = 2-10-19)

小千谷縮の着物姿で訴え 夏の交通事故防止運動 新潟

夏の交通事故防止運動が始まった 22 日、新潟県小千谷市城内の市道で、小千谷縮(おぢやちぢみ)の着物を着た谷井靖夫市長らがドライバーにチラシや地元産の菓子などを配り、交通安全を呼びかけた。

小千谷市の特産である小千谷縮は昨年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録。 市は利用を推進しており、恒例の夏の交通事故防止運動のイベントにあわせて、小千谷縮の魅力を PR した。

谷井市長のほか、市や観光協会などの女性職員 3 人が小千谷縮の着物姿で参加。 小千谷署員や市立西保育園児らとともに、▽ 飲酒運転の根絶、▽ 無謀疲労運転の追放、▽ シートベルト、チャイルドシートの着用徹底を訴えた。 交通事故防止運動は 31 日まで。

(産経新聞 = 7-22-10)

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